民族浄化

出典: Jinkawiki

他民族集団の人々を一定の地域から追放するプロセスである。つまり、ある地域で特定のアイデンティティグループの絶対的優位性を確立するために、敵対するグループを虐殺・殲滅したり、強制的に追放したり(難民化)、強制収容所などに隔離したりする行為である。武力などの物理的な強制力によるものと武力を伴わないものがあるが、ほとんどが武力によるものとイメージされている。1990年代半ばの旧ユーゴスラビア内戦やルワンダでの大虐殺によって一挙に国際社会の関心が高まった。

戦時性暴力

民族浄化を遂行するために性暴力が手段として積極的かつ組織的に利用された。女性への暴力は、他民族に恐怖と屈辱感、無力感を与える手段であった。旧ユーゴスラビア紛争では、強姦は女性を傷つけるだけでなく、男性に辱めを与えるために行われた。すなわち、自分の家族や恋人が強姦されているのに、助けることができない現実を見せつけ、屈辱感と無力感を他民族の男性に与えることが意図された。さらに、こうした無力感は追放した他民族の市民に故郷に帰りたいという意思を二度と持たせないためのものであった。ボスニアでは1991年から1995年までの間に、約二万人のムスリム系女性がセルビア系男性によってレイプされたと言われている。わずか100日足らずの間に八十万人ものツチ族および穏健派フツ族が虐殺されたルワンダでは、国連人権特別報告者ルネ・ドゥニースギが、「(虐殺行為中)レイプがなかったほうが例外的であった」とし、報告されている妊娠の数から逆算して、1994年のジェノサイド期間中レイプされたルワンダ女性の数を、少なくとも二十五万人、多ければ五十万人と概算している。

国際刑事法廷と課題

紛争を経て、旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)およびルワンダ国際刑事法廷(ICTR)という臨時の国際刑事法廷が設立され、国際社会が個々の戦争犯罪を犯罪として直接裁く仕組みが動き出した。この流れが常設の国際刑事裁判所(ICC)の設立へと結びついた。国際法によって裁くという考え方はグローバル市民社会に広がり、民衆法廷の運動を刺激したが国際社会の法的メカニズムは産声を上げたばかりで、国際政治の動向に大きく左右されており、十分に機能していないことを反映している。また、ICTYは戦時性暴力の裁判など多くの成果を上げたが、限界も明らかとなった。コソボ戦争においてNATOが犯した誤爆による犠牲に対して、国際刑事法廷は戦争犯罪には当たらないとの結論を出した。その結果、処罰されないことで戦争犯罪が繰り返される不処罰の連鎖が再び始まり、国際社会は大きな課題を背負った。


参考文献

江口昌樹「ナショナリズムを超えて-旧ユーゴスラビア紛争下におけるフェミニストNGOの経験から」白澤社、2004

宮地尚子「性的支配と歴史-植民地主義から民族浄化まで」大月書店、2008 (T.I)


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