満州事変2
出典: Jinkawiki
・満州事変 中国で国権回収の民族運動が高まっているころ、国内では軍や、右翼が幣原喜重郎の行っていた協調外交を、軟弱外交と非難して「満蒙の危機」をさけんでいた。関東軍は危機感を感じ、満州に中国の国権回収運動が及ぶのを武力で阻止するとともに、満州を長城以南の中国主権から切り離し、日本の勢力下におこうとした。 関東軍は、石原莞爾を中心とし、1931年の9月18日、奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破(柳条湖事件)すると、中国軍のしわざとして軍事行動を開始し、満州事変が始まった。
・他国の反応 ソ連:第一次経済開発5カ年計画の真っ最中だったため中立不干渉。 イギリス・フランス:恐慌対策で忙殺。 アメリカ:米国だけが満州事変のすべての結果に対して不承認を唱えた。しかし恐慌対策に必死であったため日本の行動を黙認した。 しかし、中華人民共和国(シナ)の抗議を受けて国際連盟はリットン調査団を派遣した。
<参考>
・満州事変
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1931-40/1931_manshu_jihen.html
・山川出版社 改訂版 詳説「日本史B」
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