目安箱
出典: Jinkawiki
江戸幕府8代将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として、将軍への直訴状を受理するため設けた箱。 1721年(享保6年)8月以降毎月3度評定所の前に置き、1727年からは京都・大坂に、1736年からは、駿府(静岡市)・甲府にも設けた。箱は将軍の面前で錠が開けられ、訴状は将軍が自ら開封し、その採否は将軍の一存によった。 この箱の設置の目的は、言路を開いて、庶民の不満の解消を図ると共に、広く、施政上有益な建言を求めること、さらに将軍が下からの情報を握ることによって、諸役人の監督を強化し、行政機構の緊張を高めようという意図もあった。 その結果は、すでにその年の秋、浪人山下幸内が吉宗の緊縮政策を大胆に批判した上書を投じて評判になったのをはじめ、救貧、防火、新田開発、医療所の設置など、諸方面に渡る意見が施政に採用され、享保以降においても幾多の効果を示す事例が知られている。
引用文献
渡邊靜夫 日本大百科全書22 1988 小学館