神戸連続児童殺傷事件
出典: Jinkawiki
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事件の概要
神戸市須磨区の市立多井畑小学校の6年生J君が殺害され、1997年5月27日早朝、その遺体の切断された頭部が付近の市立友が丘中学校の正門で発見された。置き去りにされた頭部の口には、挑戦状とでもいうようなメッセージが短冊状の紙片に包まれる形で差し入れられ、犯人は「酒鬼薔薇聖斗」と自称していた。同日、近くの丘陵から少年の胴体が発見され、J君であることが判明した。6月4日、神戸新聞社に宛てた反抗声明が届き、死体に添えられたものと同じ挑戦状が同封されていた。挑戦状は以下の通りである。
「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を積年の大怨に流血の裁きを SHOOLL KILLER 酒鬼薔薇聖斗」
兵庫県警察本部は6月28日、この事件の容疑者として付近に住む14歳(当時)の少年を逮捕し、少年は犯行を自供した。その後も少年は供述を続け、同年2月10日に須磨区の路上で起きた小6女児二人に対する殴打事件、3月16日に起きた小4女児Aちゃん(10歳)、小3女児(9歳)に対する連続通り魔事件(後にAちゃんは死亡)も自分の仕業であったと犯行を認めた。このこと自体は、駆けつけた「当番弁護士」も確認している。少年は7月25日、兵庫県警の取り調べを終え、神戸家庭裁判所に送致され、観護措置として身柄は少年鑑別所に収容された。
犯罪の型
①快楽殺人
②劇場型犯罪
③社会挑戦型犯罪
④コラージュ型またはパッチワーク型犯罪
⑤カルト型犯罪
快楽殺人
「快楽殺人」とは、人を殺すことそれ自体で性的・官能的な快楽を得るというタイプの犯罪のことであり、この殺人の最大の特徴は性犯罪であるがセックスが伴わないことである。この型の犯罪の典型は、前世紀末のロンドンを震撼させた「切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」が挙げられる。快楽殺人者の多くは、本人は自分の性的欲動の存在を自覚していず、また犯行によって「快感を覚えた、スーッとした」としか表現しないことがある。 これを快楽殺人者であると判断するのは、①被害の対象が性的対象または性的嗜好障害(以上性愛あるいは性倒錯と言っても基本的には同じこと)の対象となりうる者である。②犯行の方法が利得や怨恨を晴らすという了解可能の目的を超えて、対象を破壊すること自体によって快感を覚えていることを推定させる。③犯行自体が死体加虐愛(ネクロサディズム)、死体愛(ネクロフィリア)、人間嗜食(カニバリズム)、拝物愛(フェティシズム)などの性倒錯の存在を示している場合である。これら3つが現場の状況から裏付けられれば、たいていの犯罪研究者はこれを「快楽殺人」と反することができるのである。そして、今回のこの一連の事件の犯人も例外なく「快楽殺人者」だったのである。
「こころの病」的側面
快楽殺人者の多くは、人格障害者である。ドイツの精神科医V・ゲープザッテルによると、快楽殺人者は、感情的に冷たく、それに性的嗜好障害と呼ばれる性欲動の倒錯が加わっている。性欲の対象は成人よりも子ども、子どもよりもその死体、さらにそれを切断したもの、それを何らかの方法で複製したものというように、人間を離れてモノに近づいてゆくのが特徴。
『絶歌』の刊行
2015年6月11日、元少年Aという名で『絶歌』という本が発売された。「1997年6月28日。 僕は、僕ではなくなった。」というフレーズから始まる彼の事件への手記である。 アマゾンホームページによると、『 酒鬼薔薇聖斗を名乗った少年Aが18年の時を経て、自分の過去と対峙し、切り結び著した、生命の手記。 「少年A」――それが、僕の代名詞となった。僕はもはや血の通ったひとりの人間ではなく、無機質な「記号」になった。それは多くの人にとって「少年犯罪」を表す記号であり、自分たちとは別世界に棲む、人間的な感情のカケラもない、不気味で、おどろおどろしい「モンスター」を表す記号だった。』という記述がある。 書評については様々な意見があり、この本を図書館等に置くべきか否かという議論も多くされている。
「酒鬼薔薇聖斗」が与えた影響
秋葉原無差別殺傷事件が2008年6月8日に、東京都千代田区外神田で発生した。この犯人である加藤智大は、少年Aと同い年であった。また、彼が犯行に及んだのは、宅間守による大阪・池田小学校事件と同日であることからも、この二つの事件を念頭に置いた事件であったことが叫ばれている。加藤は、神戸連続児童殺傷事件の全容を中学三年で知った時に、同い年の少年がとてつもないことをやってくれたと身を焦がすような共感と嫉妬を覚え、犯行に及んだ。それは、酒鬼薔薇聖斗同様のねじくれた性衝動に起因しているのである。ひとつに、「母親」の存在がある。酒鬼薔薇聖斗は母を恐れ母のあたたかい愛情に飢えていたことが異常な性癖の原因のひとつであったが、加藤もまた彼の弟の手記によれば、廊下に広げた新聞紙の上に食事をぶちまけられて食べさせられるといった虐待を母親から日常的に行われていたのだ。小中学校を優等生で通すことができた秘密は、たとえば作文は先生受けの良いテーマや文章を母親に指示され、絵画についても同様にテーマや構図を母親に指示されて、その通りに書いて厳しくチェックを受けたものを提出していた。徹底した母親の管理下に置かれた結果だったのである。子どもにとって母とは世間であり、世間とは故郷であり、故郷とは国家である。実弟の手記によると、彼は中学三年の時に母親を殴っていたという。これは酒鬼薔薇聖斗が起こした事件と同年であり、この時から、加藤の中で「母」から「国家」に対する問題行動へのたくらみが開始されたのである。
このように、酒鬼薔薇聖斗が起こした事件を契機に、それと同じ境遇にある立場の人間が彼をある意味で「偶像化」し崇拝するという構図が生まれてしまったのである。神戸連続児童殺傷事件以後、「いのちの大切さ」を繰り返し唱えながらの教育を行ってきたにもかかわらず残酷で残虐な事件は絶えることのなかった。京都の「てるくはのる」事件、愛知県豊川の老女刺殺事件、西鉄バスジャック事件、大分の一家惨殺事件、大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件などである。それらの犯人に共通していることといえば、戦後の教育システムから落ちこぼれた「負け組」でり、被害者は殺傷されるいわれのないたまたまそこに居合わせた女性や子どもといった弱者であった。つまり、少年Aが知的発達障碍者の男児を手にかけた時から、自分自身弱者に違いない者らが自分よりもさらに弱い者を殺戮するという「弱肉弱食」の時代となったのである。酒鬼薔薇聖斗が与えた影響は多大なるものだったのである。
参考文献
小田晋『神戸小学生殺害事件の心理分析』光文社
産経新聞大阪本社編集局『命の重さを取材して 神戸・児童連続殺傷事件』扶桑社
文春新書編集部『論争若者論』文藝春秋
アマゾンホームページ [1]