緑の革命

出典: Jinkawiki

概要

緑の革命とは、1940年代から1960年代にかけて行われた、稲、小麦、トウモロコシなどの農産物の品種改良をし高収量化を目指すための政策の名称である。この品種改良では、化学肥料などを使用する。「緑の革命」という言葉は、1968年3月に、アメリカの国際開発協会で行った講演で初めて使ったと言われ、その後、レスター・R・ブラウンがレポートにて用いてから、世界に広まっていったとされている。当初はいいこと考えられていたが、最近ではインドを中心に批判が広まり始め、疑問の声があがっている。「緑の革命」の他に「赤の革命」という言葉があり、緑の革命というのは、赤の革命に対抗する言葉であり、中学校や高校の教科書には必ずといっていいほど出てくる言葉である。「HYV種」という米粒は在来種の米粒より二倍も多く、肥料を多くしても倒伏しにくい品種を使い、糧生産を単一化することで土地面積あたりの収穫をあげようとした。そのため、大量のバイオマスを消費することになる。よって、その分大量の養分や水が必要になる。そのために、大量の化学肥料や灌漑用水が必要となった。この時の肥料の素となったのは、窒素である。当時は第二次世界大戦時であり、窒素は爆薬を使うのに必要とされていた。窒素は爆薬を作るのに欠かせない物質であったが、戦後爆薬の生産が減り、空中窒素を固定できる工場が過剰に増えた。このために工場は、肥料を作ることに切り替えた。西側諸国で化学肥料はあふれていたため、発展途上の国がターゲットとなった。アメリカを中心とする国際機関はこれを推進した。しかし、農業がHYV種の導入により自然の生態系に大ききダメージを与えてしまうことになった。以前までは、循環型農業だったものが一方通行型農業へと変化してしまったのである。このような点から、環境に悪影響を与えてしまうだけでなく、社会への悪影響ももたらしてしまった。実際にインドのパンジャブ州では、地域対立、国家対立、宗教対立を生みだしてしまうことになった。また、農民の文化にも影響を与えることになった。その他にもHYV 種の栽培には大量の化学肥料や農薬を購入しなければならないので、多額の費用が掛かってしまったのである。インドでは、収量は一時的に増えたが、その後急に減少してしまったというデータがある。この点から考えてもHYV 種の栽培は適切なのかという疑問が生まれるのである。


参考

http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2516

ヴァンダナ・シヴァ「緑の革命とその暴力」日本経済評論社 浜谷喜美子訳 1997年


ペンネーム:N.A


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