開発途上国
出典: Jinkawiki
開発途上国
開発途上国は、経済発展、開発の水準が先進国に比べて低く、経済成長の途上にある国を指す。発展途上国、途上国、とも言われるが、近年はこれらの国でも経済成長がみられる国も多く新興国という言葉もつかわれる。
アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々に多く、一般的には経済協力開発機構 (OECD) の開発援助委員会 (DAC) が作成する「援助受取国・地域リスト」(DACリスト)第I部に記載されている国及び地域を指す。
概要
1970年代以前は、後進国(Backwards Country)、未開発国 (Undeveloped Country)などと呼ばれていたが、1980年代頃から開発途上国、もしくは発展途上国という呼び方が一般的になった(呼び方の変更に伴い、低開発国という呼び方も日本では使用されなくなったが、"Less Developed Countries"は現在も国際連合ばかりでなく日本の外務省でも英語のままで使用されている。とりわけ、後発開発途上国を区別する文脈の中で"Least among Less Developed Countries"として用いられる)。
開発途上国にも幅がある。開発途上国と後発開発途上国(最貧国)とでは、現況や抱える問題が違い、両者の格差は拡大傾向にある。前者では、先進国の製造業が安価な労働力を求めて進出してきたことにより、国民所得の向上、教育水準の向上が進んでいる。それに対して後者では一次産品に強く依存した経済や、戦乱や災害に伴う労働力人口の減少の影響が深刻で、その中でも才知ある人材が他国へ流出していることなど、将来の展望に不安が多い。また開発途上国の中には、人口の急増により、労働力人口に対して十分な雇用を創出できず、失業者や不完全就労者の増加に苦しむ国々も多い。このため社会問題の一角として称されている。
歴史
第二次世界大戦が終結して間もない1950年代前半頃までは、アメリカ合衆国および、イギリス、フランスなどヨーロッパの一部の国(その殆どは戦勝国か中立国であった)を除いて、他の国家はどこも国民所得の水準が低かったと思われる。
また、ヨーロッパにおいては戦勝国であってもその多くが国土が戦火に見舞われたため、自国のインフラストラクチャーの復興にその多くを割かれ、アジアやアフリカに持つ植民地の運営を行う経済的余裕を持てなかったことや、これらの植民地の多くも戦火に見舞われ、戦中統治する国がめまぐるしく変わったことなどで、多くの植民地において独立の気運が高まり、戦後まもなくフィリピンやインド、パキスタンなどの多くのアジア諸国が独立を果たした。
この頃は、戦後まもなく独立を果たしたこれらのアジア諸国の平均国民所得より、戦火に見舞われなかった一部のアフリカ諸国(その殆どは独立していなかったが)の平均国民所得のほうが高かった。
その後、ドイツや日本などの旧枢軸国(ドイツは戦前より先進工業国であった)などで急速な経済成長が起きた。続いて1960年代からブラジルや韓国、メキシコなど一部の諸国での経済成長が始まった。またこの頃はアフリカやアジアにおいて宗主国から独立する国が相次いだ。宗主国から独立した植民地諸国だったが、いくつかの国では内戦や同時期に独立を果たした隣国との紛争が勃発し、発展の制約となった。
1970年代、石油危機を境に資源ナショナリズムを強めた産油国が莫大なオイルマネーにより経済発展を遂げた。この頃、対外債務を生成して資本輸入による工業化を図っていたメキシコやブラジルなどが、原材料価格高騰により変調をきたし対外債務問題を発生させた。
対外債務問題は、1970年代末から1980年代初めにアメリカの金融政策により起きた世界的な金利上昇により解決不能となり、途上国諸国(特に南米諸国)は返済計画のリスケジューリングを受け、厳しい再建の時代を迎えた。
一方、直接投資を導入した東アジア・東南アジア諸国は高い経済成長を維持。1980年代に本格化する日本企業の工場移転などで急速に工業化が進んだ。金利を高めに維持して、外資を導入し資本蓄積をすすめる成長システムは世界から注目を集めた。しかし、1990年代半ばにアメリカがドル高政策を行い、同様の成長システムへと転換したことから競合が起き、1997年には大幅な通貨切り下げに見舞われ成長システムは破綻した(アジア通貨危機)。
1970年代始め頃からはソ連の経済成長が鈍化したものと考えられており、東欧の衛星諸国も成長鈍化に見舞われたものと思われる。1980年代末に東欧革命が連続的に起き、欧州を東西に分けていた壁が消滅した時点においては、西欧諸国と決定的に経済格差が生まれていた。
参考文献[1]