関東ローム層
出典: Jinkawiki
ローム層の成り立ち
日本は火山列島である。火山が噴火すると、噴出物は周辺に落下し、堆積して、地形・生物などに大きな影響を及ぼす。 関東ローム層と呼ばれる赤土の層は、地質時代の更新世(洪積世)のころに、火山から噴き上あげられた火山灰である。北関東のローム層は浅間山・榛名山・赤城山などの噴き出した火山灰であり、南関東のローム層は富士・箱根火山系の火山から噴きあげられた火山灰である。したがって同じローム層でも堆土中に含まれる軽石や鉱物などに違いがみられ、ローム層の区分も相違している。県北地域は北関東型、県南地域は南関東型に分類できる。 かつてはこのローム層の形成されていた数百万年~数万年前までは人類は生息していなかったとされていた。ところが昭和24年(1949)、群馬県岩宿遺跡の関東ローム層中から槍先形尖頭器といわれる「旧石器」を相沢忠洋氏が発見し、日本における旧石器時代の研究の幕が切って落とされた。 埼玉県における旧石器の発掘調査では、昭和35年、鳩ヶ谷市浦寺遺跡において加藤晋平氏らにより数点の旧石器が確認されたのが最初の発掘例である。その後、旧石器時代遺跡の発掘調査は多数行われ、現在、埼玉県内では約300ヵ所あまりの遺跡が確認されている。 関東ローム層は、県南部の大宮台地では約3~5メートル、県西部の武蔵野台地では約5~7メートルの堆積が見られ、旧石器時代の遺跡が検出されるのは現在のところ、上層の立川ローム層中からだけである。立川ローム層は、放射性炭素による年代測定により今から約3万~1万2000年前に、古富士山、箱根山、浅間山などの噴火による火山灰が堆積して形成されたことが明らかになっている。関東ローム層中に、埼玉県における旧石器時代の歴史は今から約3万年前までさかのぼることができます。
浅間山
長野・群馬両県の県境にそびえる安山岩質の複合成層火山(標高2568メートル)である。有史以後、最近まで激しい爆発的な噴火(ブルカノ式噴火)を繰り返してきた。すべて山頂噴火で、噴石の危険区域は火口の縁から4キロである。また、火砕流が発生しやすく、」溶岩流が流出したこともある。噴火の前兆現象として、火口直下で浅い地震が頻発することがある。現在は東西500メートル、南北440メートルである山頂火口の地形や、火口底の深さは活動の様子に応じて著しく変化する。この火口はつねに噴気しており、西側山腹の地獄谷にも硫気孔がある。 数万年前に成層火山が生まれた後、2万年前に東側斜面の大半がくずれ、馬いて形のカルデラがつくられた。この山の西側は今も第一外輪山の黒斑山として残っている。その後まもなく、そのカルデラ内に粘り強い仏岩溶岩流が流出して、平らな盾状火山ができた。その東側には寄生火山の小浅間山溶岩ドームが生まれた。いまから1万3000万年前に大規模な軽石噴火が起こり、デイサイト質の軽石流が南北両側の山麓をおおった。1万年前からカルデラ内で新しい噴火活動が始まり、第二外輪山の前掛山が生まれた。 浅間山は過去、500~600年おきに大噴火を起こしている。このところは比較的小さな噴火を繰り返しており、江戸時代の大噴火から200年たったこともあり、天明クラスの噴火が起きれば、火口縁の低い北側に火砕流が流れる危険性がある。
参考
『図説 埼玉県の歴史』小野文雄 清水勝 河出書房新社 『火山列島日本』 NHK取材班 日本放送出版協会