アラブ石油輸出機構

出典: Jinkawiki

略称OAPEC(オアペック)。1968年1月9日にクウェート、サウジアラビア、リビアの3か国によってアラブ産油国の利益を守るために設立された機構。その後加盟国は増加し、2003年現在、アラブ首長国連邦、アルジェリア、イラク、エジプト、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、バーレーン、リビア、チュニジアの11か国で構成されている。本部はクウェートに置かれ、主要機関として総会、理事会、事務局が設けられている。

当初の設立目的は、「アラブ産油国におけるヨーロッパ共同体のようなものであり、石油およびその他の関係ある経済分野で、あらゆる種類の合弁事業を行う」ことにあった。だがOAPEC設立の直接の動機は、1967年のイスラエルとエジプトの「六日戦争」(第三次中東戦争)の際にアラブ産油国がとった石油禁輸措置の失敗にある。すなわち、六日戦争のとき、アメリカ、イギリス、旧西ドイツがイスラエルを支援したとして、アラブ産油国はこれらの国への石油輸出を禁止するという強硬措置をとったが、イラン、ベネズエラなど非アラブ産油国が増産してアラブが禁輸措置をとった国への輸出を増大したため、アラブの禁輸政策は失敗に帰した。こうした苦い経験から、アラブ産油国は、石油政策ならびにそれに関係する経済分野で団結と統一を強化するためにOAPECを結成したのである。このことは、アラブ産油国の石油資源の自主管理を意味した。石油輸出国機構(OPEC(オペック))が世界の主要な石油輸出国で結成され、その目的を原油の公示価格の維持・回復に置いたのに対して、OAPECはより幅広く、共通の経済的基盤を築こうとするものであり、またのちには石油輸出国ではないシリア、エジプトが加わったことからも、政治的色彩の濃い機構といえよう。

OAPECは、1970年以来共同事業などにも取り組み、バーレーンに25万トン級タンカーの修理用ドックをつくり、さらに石油化学合弁事業、パイプラインの共同所有などを進めていた。だが、1980年9月のイラン・イラク戦争で両国は対立する。さらに90年8月2日、イラクによるクウェートの侵攻に端を発した湾岸戦争が、この機構を実質上、弱体化させてしまった。98年2月なかばに、イラクに対するアメリカの不信は高まり、ふたたび戦争寸前の様相を呈したが、国連のアナン事務総長の調停によって治まった。しかし、2003年にはイラク戦争が起こるなど中東地域での紛争が続くなか、この機構の国際的役割は低下している

参考文献 地理用語集 地理ハンドブック

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E7%9F%B3%E6%B2%B9%E8%BC%B8%E5%87%BA%E5%9B%BD%E6%A9%9F%E6%A7%8B


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