アルクマール事件2

出典: Jinkawiki

1982年に起こったオランダの安楽死容認に決定的な一歩を踏み出すステップとなった事件。

95歳の女性患者は、回復の展望がないほど衰弱しており、激しい苦痛を感じていた。また精神は明晰で独立心が強く、他人への依存は耐え難いと感じていた。患者は医師にくり返し生命を終焉させるように依頼していた。死の一週間前、病状の悪化で深刻な状態に陥り、意識を失う。再び意識を取り戻したときは、話すことも食事をとることもできなかったが、2・3日後には再び可能となる。患者は医師にこのような経験は耐えられないと主張。医師はほかの医師とも相談し、患者の依頼を受け入れ安楽死を実行した。安楽死実行後、医師は警察に自ら届け出て、異例の長い裁判が始まり、しかも裁判は二転三転した。


1983年、アルクマール地方裁判所は患者の自己決定権を認め、死の要請もその範囲であること、患者の文書による要請を慎重に扱ったのであり、その行為は間違っておらず「実質的違法性」はなく、犯罪はなかったと認定し無罪とした。

1984年、検察はロッテルダム原則に反しているとして控訴。控訴審判決では、患者に「耐えがたい苦痛」があったかのかどうかを問題とし、「耐えがたい苦痛」に対する別の対応策を考慮していないとして、安楽死を禁止する規定の刑法239条に違反し、有罪と認定した。ただし、不思議なことに刑罰の課せられない有罪であった。

1986年、今度は医師が上告し、最高裁で争われることになった。最高裁が問題としたのは、痛みに苦しんでいる患者を痛みから解放することが必要である場合、他の手段があったのかという点であった。高裁判決はこの点を考慮していないとして、治療義務と苦痛除去義務という2つの義務に板ばさみになったときに、それを合理的にコントロールできないときには「不可抗力」として容認されるとして、ハーグ高裁に差し戻し審理を命じた。

同年、検察は医師会に見解を求めたが、医師会は基本的に最高裁の「不可抗力」の考えを支持し、ハーグ高裁は患者の自己決定権を重視し、さらに苦痛は単に肉体的なものだけでなく、精神的なものも含めて考えるとして、無罪とした。

引用・参考文献:「オランダ寛容の国の改革と模索」太田和敬・見原礼子著 子どもの未来社,2006.11


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