オードリー・ヘプバーン

出典: Jinkawiki

オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)

 本名は、オードリー・キャスリーン・ヴァン・ヘームストラ・ヘプバーン・ラストン(Audrey Kathleen Van Heemstra Hepburn-Ruston) イギリスの映画女優。  ベルギー ブリュッセル にて1929年5月4日に 生まれ1993年1月20日に死去。国籍はイギリス である。  ロンドンでバレエを習う等、ヨーロッパを中心とする各国で生活した経験を持つ。そのためか英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語に抜群に堪能であった。

目次

略歴

1929.5.4 ベルギー、ブリュッセル生まれ。イギリス人の父とオランダ人の母。

1929.8 百日咳で心配停止となるも蘇生

1934.戦争のため、イギリスに渡る。

1939. 両親が離婚、母親と共にオランダへ移住。

(第二次世界大戦で親族も殺される。栄養失調になる。)

1948.単身ロンドンに渡りマリー・ランバート・バレエ学校に入学

1954. 「ローマの休日」アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞 主演女優賞受賞。

1954. 俳優のメル・ファーラーと結婚、出産。(後離婚)

1955. 「麗しのサブリナ」アカデミー賞主演女優賞ノミネート。

1957. 「戦争と平和」英国アカデミー賞イギリス女優賞ノミネート。

1960. 「尼僧物語」アカデミー賞主演女優賞ノミネート。

1962. 「ティファニーで朝食を」アカデミー賞主演女優賞ノミネート。

1965. 「シャレード」英国アカデミー賞イギリス女優賞受賞。

1965. 「マイ・フェア・レディ」ゴールデン・グローブ賞コメディ・ミュージカル部門主演女優賞ノミネート。

1968. 「暗くなるまで待って」 アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞 主演女優賞ノミネート。

1968. 「いつも二人で」ゴールデン・グローブ賞コメディ・ミュージカル部門主演女優賞ノミネート。

1970. イタリア人精神科医アンドレア・ドッティと再婚、男児をもうけたが離婚。

(子育てに専念)

1989. スティーヴン・スピルバーグ監督作品『オールウェイズ』を最後に女優業を引退。

1990. ゴールデン・グローブ賞 セシル・B・デミル賞受賞。

1992. アカデミー賞 ジーン・ハーショルト友愛賞受賞。

(国際連合児童基金のユニセフ親善大使に就任して世界中を飛び回る。)

1993.1.20 スイス・ローザンヌ近郊のトロシュナ村で大腸癌のため亡くなる




受賞作品

ジーン・ハーショルト友愛賞1992年『Outstanding Contributions to Humanitarian Causes』

英国アカデミー賞 主演女優賞 1953年『ローマの休日』 1959年『尼僧物語』 1964年『シャレード』

エミー賞 Outstanding Individual Achievement - Informational Programming 1993年『Gardens of the World with Audrey Hepburn』

グラミー賞 Best Spoken Word Album for Children 1994年『Audrey Hepburn's Enchanted Tales』

ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)1953年『ローマの休日』

セシル・B・デミル賞1989年『Lifetime Achievement』

トニー賞 最優秀演劇女優賞1954年『Ondine』Special Tony Award 1968年『Lifetime Achievement』




第二次世界大戦

 オードリー・ヘプバーンの両親は早くに離婚しており、また戦時中で辛い少女時代を過ごしている。彼女は母親についていく。  彼女の母親はオランダの貴族の由緒ある家系であり、祖父のアール・ノート・ファン・ヘームストラ男爵は弁護士で、ウィルヘルミナ女王の宮廷ではよく知られた人物だった。その祖先は12世紀以来政治家や軍人として、オランダで高い地位を占めていた。

 そのため母親の考えで、第二次世界大戦中はロンドンよりもアーネムに居る方が中立で安全だとして、オランダに滞在した。しかしオランダでも彼女はユダヤ人でいっぱいの家畜運搬用トラックを目撃して恐怖に駆られたり、11歳の時にはレジスタンス組織に秘密の情報を運ぶ仕事をしたりナチスの脅威の中にいた。  そのため、同じ年のアンネとの深い精神的かかわりから酷く心を痛め、「アンネの日記」のアンネ役を断り続けたという話が有名である。

また、戦時中の経験などから、晩年は国際連合児童基金のユニセフ親善大使に就任して世界中を飛び回った。



マイ・フェア・レディ

 オードリー・ヘプバーン主演のミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」(My Fair Ledy)はジュリー・アンドリュース主演のミュージカルが元になっている。ミュージカルの原作はジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」である。ピグマリオンはギリシャのキプロス島に住んでいて、自分の彫った彫像に恋した王の名前。ピグマリオンとヒギンズ教授を重ねている。言葉の質と人間の質の関連を描いた作品である。  

 音声学者のヒギンズ教授(レックス・ハリソン)が下町コックニー訛りの花売り娘イライザ(オードリー・ヘプバーン)の発音を矯正し、一国の王女と偽って皆が気づくかどうか賭けをする、20世紀初頭の英国社会、階級と英語の発音の関連性をコメディー調に描いた作品である。


 当時の英国社会は言葉遣いと階級差が非常に密接な関係を持っており、発音と言葉遣いがしっかりしていれば上層階級と識別されると行っても過言ではなかった。例として語頭の/h/の発音が挙げられる。映画ないでも特訓しているが、これは知識階級と非知識階級を隔てる要素であった。


 作者ジョージ・バーナード・ショーは当時の英国社会を最もよくあらわしている「言葉」とに人間というテーマの問題提起をして、もっと言葉にこだわる社会を形成することを願っていた。彼にとってこれはイギリス社会の改革的イメージであり、「マイ・フェア・レディ」はそれを訴えた作品といえる。  


参考資料

「オランダを知るための60章」明石書店 長坂寿久

「講座『マイ・フェア・レディ』オードリーと学ぼう、英語と英国社会」 英潮社 米倉綽

「ローマの休日 ワイラーとヘップバーン」朝日新聞社 吉村英夫

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typs/id42469/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%97%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3


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