ケガレ思想
出典: Jinkawiki
日本人に特有の宗教的思想に「穢れ」を嫌うというものがあるという。作家の井沢元彦氏が提唱する論である。 この思想は、平安時代に朝廷が武士の台頭を許したことなどに大きな影響をもたらしたと考えられる。
穢れ
『古事記』の、イザナキが黄泉の国から逃げてきた場面では次のようなことが書かれている。
愛する人、イザナミが火の神を産んだがために死に、黄泉の国に行ってしまう。黄泉の国は死者が住む世界で古代人に忌み嫌われていたが、それでもイザナキはイザナミを連れ戻そうと赴く。しかしイザナミは黄泉の国の食べ物を食べてしまっていた、つまり、穢れた世界の食べ物を食べてしまったので、自身も穢れた存在になってしまったという。ここから有名な騒動が起き、イザナキは黄泉の国から筑前日向に逃げ帰り、水流で身体を洗って穢れを落とそうとする。イザナキは、「私はとても醜く穢れた国に行ってきたなあ。早く身体を清めなければ」と言う。
以上は『古事記』の「三貴神の誕生」と言われる有名な場面である。井沢氏は、黄泉の国に満ちている「穢れ」が何に起因するのかというと、それは「死」であると述べる。 その後はイザナキの禊の際に「アマテラス」、「ツクヨミ」、「スサノオ」の三貴神が生まれ、高天原を治めることになったアマテラスの子孫が天皇ということになっている。つまり、『古事記』に記されている「死=穢れ」とする宗教観は、天皇家の宗教観であるということになる。
穢れの概念はもともと日本にはなかったと考えられる。なぜなら日本に住んでいた縄文人が狩猟民族であるからだ。動物を殺して肉を食べるのだから「死」に抵抗を感じていたら生きていくことはできない。 これに対し、弥生人は米を生産する農耕民族なので基本的に動物を殺さなくても生きていくことができる。農耕民族にとって「死」は豊穣の対極にある嫌なものであると考えられる。外からやって来た弥生人は穢れ思想を持っていたと思われる。 やがて弥生人は日本を西から征服し、狩猟民族である縄文人を支配するようになり、彼らは下級階層に落とされる。穢れ思想を持っているので狩猟民族を文化的に差別し、後世の部落差別に繋がっていると考えられる。江戸時代では皮革業をを営む人々などが差別されてきた。これらのことから稲作文化を持ち込んだ外来民族の長が「天皇」だと考えられる。
軍隊を放棄した朝廷・貴族と台頭する武士団
日本では大和朝廷誕生から、天皇家は軍隊を持っていた。平安初期まで存在したが、中期から軍隊に当たる兵部省が形骸化して軍隊が存在しないも同然となった。軍隊とはそもそも、為政者に逆らう人間や敵対する人間がいるとき、国家の財産や人民を守るために為政者にとって必要不可欠な存在だ。平安初期には東北に朝廷に従わない異民族が存在し、朝廷は侮蔑を込めて「夷」と呼んだ。このとき征夷大将軍として征伐した坂上田村麻呂は武士ではなく軍人で、朝廷の役職の軍事に従事していた。