コミンフォルム

出典: Jinkawiki

概要

 コミンフォルムは、1947年にヨシフ・スターリン、ヨシップ・ブロズ・チトーを中心に設立された、共産主義党の国際組織である。正式名称は「共産党・労働者党情報局」。各国共産党の情報交換やソ連指導下での共産党間の活動を調整することが主な目的である。前身に共産主義インターナショナル(通称:コミンテルン)を持つ。当初の本部はユーゴスラビアの首都ベオグラードであったが、スターリンとチトーの対立からユーゴスラビアが除名されると、ルーマニアのブカレストに移った。

主な加盟政党は、

・ソビエト連邦共産党   ・チェコスロバキア共産党   ・ルーマニア労働者党   ・ハンガリー勤労者党   ・ポーランド統一労働者党   ・ブルガリア共産党   ・ユーゴスラビア共産主義者同盟

これらの東側諸国に加えて、

・フランス共産党

・イタリア共産党   ・(トリエステ自由地域共産党)

の西側諸国の共産党を含めた9国の共産党である。


歴史

1945年 第二次世界大戦終結

1947年 アメリカが欧州に対する大規模な復興援助計画「マーシャルプラン」を提唱。 同年9月「マーシャルプラン」によって東ヨーロッパ諸国が動揺することを防ぐために、コミンフォルムを設立。ソ連邦下での共産党の指導力維持をはかる。

1948年 独自路線を強めるチトーとスターリンの対立により、ユーゴスラビアが除名。本部がルーマニアに置かれる。

1949年 経済相互援助会議(通称:コメコン)が結成。


1950年 米軍主体の占領軍を解放軍と規定して平和革命を掲げた日本共産党の路線を誤りと指摘。


1953年 スターリン死去

1956年 ソ連共産党第一書記フルシチョフが、ソ連共産党第20回大会でスターリン批判を行う。

      同年4月、コミンフォルム廃止。


参考資料

コミンフォルム[1] コミンテルン[2] マーシャルプラン[3] 経済相互援助会議[4] コミンフォルム/世界史の窓[5] スターリン批判/世界史の窓[6]


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