スウェーデンの中立政策

出典: Jinkawiki

スウェーデンは中立国として知られている。

19世紀初頭は、スウェーデンにとって激動であった。 中世以来スウェーデン領土であったフィンランドが1908年にロシアに割譲された。

ナポレオン戦争では、イギリス・ロシアと同盟を結んだ。 その結果、ノルウェーを併合した。(スウェーデン=ノルウェー同君同盟)

この時期は、カール14世世半が外交政策を指導した。 イギリスとロシアとの間の勢力均衡を前提とする中立外交であった。

1871年の普仏戦争のフランス敗北をきっかけに、ドイツ・ロシア・イギリスとの間の勢力均衡の下での中立政策が、スウェーデンに定着した。

国際連盟に加盟して、中立政策を放棄した。 しかし、1930年代の対立情勢になると、中立政策へ復帰した。

国際連合加盟し、 「国際憲章が要求する範囲で中立の主張を差し控える。 もし、国際連合が分裂したときには、中立政策を選択する自由を留保する」 と言っている。

1948年のチェコスロヴァキアの政変が契機となり、 アメリカ中心の軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)と ソ連中心のワルシャワ条約機構(WTO)が結成された。

国際連合の集団安全保障制度が機能しなくなった。

そこで「北欧防衛同盟構想」の案が浮上した。 北欧地域の中立化を目的としたものであった。

しかし、ノルウェーとデンマークがNATOに加盟し、 フィンランドはソ連との関係を強くしていくことになる。

北欧防衛同盟機構が失敗に終わったスウェーデンは、伝統的中立政策に復帰した。

積極的に批判を展開するようになっていった。 1950年代末以降、スウェーデンの西側(とくにアメリカ)依存が急速に進んだ。 西側と価値観を共有したスウェーデンは、西側陣営に所属していることが明らかであった。 この裏側には、もし東西間に戦争が勃発したら中立を守れるのかという信憑性の問題が、ソ連との間に生じていたためである。 大国(とくにアメリカ)に批判する積極的外交政策は、戦略的に考え出されたものであった。

冷戦後は、1994年に国民投票をし、結果EUに加盟することになった。

加盟前の1992年には、外交政策の一大転換が図られた。 「戦時の中立を目的とした平時の非同盟政策」から、「有事に際して中立維持の可能性を留保した平時における軍事的非同盟」

有事の時に、必ず中立をとるのではなく、 政府に中立か同盟かを選択することを委ねることになった。

事実上、中立政策を破棄したとも解釈できる。 国際協調を重視したものだといえる。


塩屋保 スウェーデンハンドブック 早稲田大学出版部 2004 100頁外交政策 参照


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