トマス=モア

出典: Jinkawiki

トマス=モア(Thomas More、1478-1535) イギリス・ルネサンス期の法律家、社会思想家、聖人。政治・社会を風刺した『ユートピア』の著述で知られる。

・生涯

ロンドンの法律家の家に生まれる。大司教・大法官のジョン・モートンの家で従僕として教育を受け、オクスフォード大学、リンカンズ法学院で学び、法律家となった。1504年、下院議員。1515年からヘンリー八世に重用され、大法官に任ぜられる。ネーデルラント使節などを務めた。1529年、官僚で最高位の大法官に就任。 ヘンリーが離婚問題からローマ教皇クレメンス7世と反目すると、カトリック教徒として英国教会の分離を認めず大法官を辞任。ヘンリー8世の側近トマス・クロムウェルが主導した1534年の国王至上法にカトリック信徒の立場から反対したことにより、査問委員会にかけられ反逆罪に問われ、同年ロンドン塔に幽閉、1535年7月に処刑された。


・列聖

1935年にカトリック教会の殉教者としてジョン・フィッシャーとともに列聖されており、記念日は6月22日である。政治家と弁護士の守護聖人となっている。


・思想

トマス・モアはフィチーノの著作に影響を受けた人文主義者であり、神学者ジョン・コレットとは友人であった。また1499年以降、デジデリウス・エラスムスとも親交があった。エラスムスの『痴愚神礼賛』は1509年、モア宅で執筆された。トマス・モアはマルティン・ルターの福音主義を否定し、カトリック教会による平和主義と社会正義を求めた。


・ユートピア

『痴愚神礼賛』や旅行記『新世界』に触発され、1515-1516年にラテン語で『ユートピア』を執筆した。ユートピア(Utopia)は、どこにも無いという意味の言葉で、古くは「理想郷」と訳されている。ヒュトロダエウスなる人物の見聞を聞く、という設定で、第1巻でイギリスの現状を批判し、第2巻で赤道の南にあるというユートピア国の制度・習慣を描いている。アメリゴ・ヴェスプッチの旅行した記録『新世界』を深い関心を持って読んだモアは、自然に従って生き、私有財産を持たない共同社会が実在しうる事を確信した。自然法と自然状態が善である証明として書かれたその主著は、ユートピアという架空の国を舞台に、自由、平等で戦争のない共産主義的な理想社会を描いたものである。 また、イギリスでは地主や長老がフランドルとの羊毛取引のために農場を囲い込んで羊を飼い、村落共同体を破壊し、農民たちを放逐する現状を深く慨嘆し、「羊はおとなしい動物だが(イギリスでは)人間を食べつくしてしまう」(『ユートピア』第1巻)という意味の言葉を残している。



・空想的社会主義

近代的な社会主義の思想の最も始まりに位置する思想を指して言う言葉である。ユートピアン社会主義とも言う。空想的社会主義という言葉は、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが、自らの主張する社会主義を、科学的社会主義との対比として名付けたものである。科学的社会主義では空想的社会主義を次のように定義している。

・仮説上の完全な共産主義社会のビジョンを創造した ・しかし、そのような社会の実現方法や維持方法を考えなかった

のちにフリードリヒ・エンゲルスに、著書『空想から科学へ』の中で、その思想を厳しく批判される。


参考 "http://www.weblio.jp/content/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%A2"


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