ノート:な

出典: Jinkawiki

1. 条約が採択された理由 難民の地位に関する条約は第二次世界大戦後に難民の基本的人権などの難民問題が注目されるようになりはじめて採択されていった。第二次世界大戦によって急激にその数を増やした難民が全世界規模で問題になった。第一次世界大戦後に採択されていた特定の難民に関する協定では保護の対象範囲が狭いため急激に増えた難民を保護する必要性と協定加盟国への関心を十分に満たせてはいなかった。そのため国際問題へと発展した難民保護といった難民問題を解決するには世界規模で協力し、一致団結していく必要があった。そういった背景から1951年に採択されることになった。

2. 成立過程 国際連合経済社会理事会の下部組織である人権委員会が難民の地位に関する問題を提起した。これをきっかけに1948年、経済社会理事会が国連事務総長に対して無国籍者への保護の状況調査を要請する決議を採択した。この決議によって報告された調査を受け、1949年に経済社会理事会が難民と無国籍者の地位に関する条約を採択すべきか否かを判断し、もし採択すべきだと判断した場合には案文を作成する準備のためにアド・ホック委員会を設置する内容の決議を採択した。これにより設置されることになったアド・ホック委員会が1950年に難民の地位に関する条約と無国籍者の地位に関する議定書の草案を作成した。そして、経済社会理事会が作成された草案を検討して第五回国連総会に付託されることになった。この総会で難民の地位に関する条約と無国籍者の地位に関する議定書を討議し採択するために国連非加盟国も参加できるように全権委員会を開催すること、そして総会がまた別に採択したこの条約の第1条案である難民の定義を全権委員会議で検討していくことを勧告するといった内容の決議を採択した。1951年にジュネーブにて全権委員会議を開催し、この条約草案と議定書草案の各条を詳しく審議した。そして1951年7月25日付で採択され、1954年4月22日に発行された。

3. 条約の内容 難民の地位に関する条約は一般規定、法的地位、職業、福祉、行政上の措置、実施規定及び経過規定、最終条項の8章と46条で構成されている。 1章 一般規定  1条 難民の定義  2条 一般的義務  3条 無差別  4条 宗教  5条 この条約にかかわりなく与えられる権利  6条 「同一の事情のもとで」の意味  7条 相互主義の適用の免除  8条 例外的措置の援助  9条 暫定措置  10条 居住の継続  11条 難民である船員 2章 法的地位  12条 属人法  13条 動産及び不動産  14条 著作権及び工業所有権  15条 結社の権利  16条 裁判を受ける権利 3章 職業  17条 賃金が支払われる職業  18条 自営業  19条 自由業 4章 福祉  20条 配給  21条 住居  22条 公の教育  23条 公的扶助  24条 労働法制及び社会保障 5章 行政上の措置  25条 行政上の援助  26条 移動の自由  27条 身分証明書  28条 旅行証明書  29条 公租公課  30条 資産の移転  31条 避難国に不法にいる難民  32条 追放  33条 追放及び送還の禁止  34条 帰化 6章 実施規定及び経過規定  35条 締約国の機関と国際連合との協力  36条 国内法令に関する情報  37条 従前の条約との関係 7章 最終条項  38条 紛争の解決  39条 署名、批准及び加入  40条 適用地域条約  41条 連邦条項  42条 留保  43条 効力発生  44条 廃棄  45条 改正  46条 国際連合事務総長んいよる通報

主な内容としては、難民を冷遇したりせずに一般の外国人と同様に扱うように規定している。

4.   難民の地位に関する議定書  

難民

難民

難民とは、対外戦争、民族紛争、人種差別、宗教迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害、飢餓、伝染病などの理由により、自国(住んでる国)を離れる、または強制的に追い出される人々のことを指す。多くの人々は、自身の命を守るために、陸路、海路、河路、空路のいずれかで国外に脱し、他国のあらゆる面での援助を求める。現在の国際法では、戦争や政治による、弾圧や迫害を受けて難民化した者に対する救済・支援が国際社会に義務付けられている。

難民条約について

1951年7月28日、スイスのジュネーブで行われた難民及び無国籍者に関する国際連合全権会議において、難民の地位に関する条約(難民条約)が採択された。条約の中には、難民の定義、難民保護のための行政措置、ノン・ルフールマン原則(生命や自由が脅かされかねない人々(特に難民)が、入国を拒まれあるいはそれらの場所に追放したり、送還されたりすることを禁止する国際法上の原則)や、難民条約」の制定による1950年12月に難民支援活動の監督団体として国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設立されている。これらは、難民に保護を保障し、生命の安全を確保するためのものである。 難民の数・多くの難民が多い国 難民の出身の多い国 順位 国名 人数 1 アフガニスタン 2,556,556 2 シリア 2,468,369 3 ソマリア 1,121,738 4 スーダン 649,331 5 コンゴ民主共和国 499,541 6 ミャンマー 479,608 7 イラク 401,417 8 コロンビア 396,635 9 ベトナム 314,105 10 エリトリア 308,022 (外務省HP 2013年のグローバルトレンド別表より) 上の図のように、現在難民は、未だに内戦等の問題を抱えている、アフリカから中東にかけて、多い傾向がある。この、上位10カ国だけでも、約916万人もの難民がいる。さらにその後、世界 中には、約5100万人もの人々が、難民となっている。

難民問題の歴史

難民問題が国際社会の問題として取りあげられるようになったのは,第一次世界大戦後,ロシア革命やトルコ帝国崩壊によって大量の難民が発生して以降である。第二次世界大戦後には,より大量かつ広範な地域で難民が発生し,国際社会は,設立間もない国連を中心に難民問題に、取り組まれた。その後、1950年には,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設立され、1951年,より深刻化した難民問題に国際協力によって対処するために,「難民の地位に関する条約」が作成され、1967年条約を補足する「難民の地位に関する議定書」が採択され、現在の難民条約となる。

日本の難民問題への取り組み・難民問題に対する日本の立ち位置

日本国内に住む難民の人数は限られている。ところが、難民認定を求める外国人の数は昨年(2014年)、初めて5000人となった。これまでの最高だった2013年の3260人から、約5割も膨れあがっている。10年前の05年は、わずか384人にすぎない。世界の「難民候補者」にとって、日本の人気は急上昇しているのだ。(日本経済新聞 論説委員 太田泰彦2015.3.15より)このことからもわかるように、現在日本では、難民認定を求める外国人が急激に増えてきている。しかし、そこに対する、難民認定がごくわずかな人数であるのも現状である。 日本は難民の受け入れる体制が世界最低レベルと批評されがちだが、日本は,難民などに対する人道支援を国際貢献の重要な柱の1つと位置付け,「人間の安全保障」を重視した外交を推進し、中でも、UNHCRに対しては世界で第2位の拠出国である。このことから、日本は難民問題に対しての取り組みは後ろ向きであるということでもないようである。

《参考文献》 

難民 wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B0%91

国連難民高等弁務官事務所 HP http://www.unhcr.or.jp/html/protect/treaty/

外務省 HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/ranking/refugee.html

日本経済新聞 HP http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84345190T10C15A3000000/


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