バイキング

出典: Jinkawiki

バイキングとは8世紀後半から11世紀前半にかけてスカンディナビアおよびデンマークから海洋をわたってヨーロッパ各地に侵攻した北ゲルマン族のことをいう。 バイキングの起源は農民だった人々が、一時的な人口増加による深刻な食糧難、農業生産の停滞という理由から、略奪行為にいたったという説が有力である。略奪行為の具体的な目的は、遠隔地の珍しい品物を入手して豪族としての権威をたかめることと、故郷の農場では不足する生活必要物資の調達であった。涼奪・交易によって得られた品物としては金銀の装飾品、銀貨、ビザンツの絹、西欧のぶどう酒などの奢侈商品・威信財などがある。バイキングは進入先で人々を捕らえ奴隷とした。捕虜=奴隷の一部は身代金と引き換えに解放されたが、多くはイスラム世界などへの奴隷として売られていったという。 しかし、イヴ・ゴア著の『ヴァイキングー海の王とその神話ー』によれば、「確かに彼らバイキングは被害者からは「海賊」と恐れられ、「悪疫」とうとまれた。だが、研究が進み、北欧側の資料に立って検証するとき、バイキングたちは決して「悪魔」ではなく、キリスト教やローマ文明とは違った、宗教、文化、社会倫理を備えた人々だったことがわかる」と記されている。また、著者によれば、北欧側からすればバイキング活動は単なる血なまぐさい略奪行為とは言えない。それは通商と略奪と植民からなりたっていた。彼らは国内においてはほかのヨーロッパ人とあまり違わない国内生活をしていた。その内容として、氏族中心の社会をつくり、主として牧畜、農業、漁業、狩猟の生活を営んでいた。法律上の問題は地方および全体集会を開いて裁定していたという。 バイキング活動は結局、彼らがキリスト教を受容し、西欧の文化をも取り入れてそれと同化したことで終焉を告げる。彼らはこれにより古代から中世へ推移した。そしてバイキング活動が止むころ、大陸ヨーロッパの中世国家形成はすすみ、イングランドの統一王権は成立し、全ヨーロッパ規模の商業活動は変質した。それらはバイキング侵攻、彼らの開いた通商路のハンザ同盟への引き継ぎ、英国やアイルランドの社会へ及ぼしたその影響などが深く関係したといえる。

参考文献:『ヴァイキングー海の王とその神話ー』イヴ・ゴア著 


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