ポストマ事件2

出典: Jinkawiki

1971年、オランダで最初に安楽死が大きな社会問題となった事件である。

78歳の女性が1971年9月からナーシングホームに入居。女性の病気は特別なものではなかったが、車椅子を使用しており、失禁症、部分的聴覚障害、鬱、言語障害、部分麻痺で苦しみ、脳溢血のあとは苦痛に襲われていた。 ナーシングホームの主任看護師は、女性を「協調的ではなく、生きる意思がないので、リハビリや活動をするのが困難な患者だ」と証言している。女性は医師である娘のポストマ・ファン・ボーデンにくり返し安楽死の実行を依頼し、10月19日ポストマ医師が200ミリのモルヒネを母親の生命を終わらせる意思で注射し、母親は数分後に亡くなった。 ナーシングホームの告訴で起訴されたが、ポストマ裁判は国民の大きな関心を呼び、ポストマ医師の刑の軽減のための社会運動も起こった。またこの事件をきっかけに、安楽死の合法化を実現させることを目標にした組織NVVLが結成され、医師たちも真剣に安楽死の問題を表立って議論するようになった。


1.改善や悪化が長期的であるか短期的であるかにかかわりなく、病気や事故が原因で回復不可能である、あるいは、医学的な基準から回復できない病気とみなされなければならない場合。

2.肉体的・精神的な苦痛が患者にとって耐え難く深刻である場合。

3.患者が事前に文書で生命を終焉させることを望み、いかなる場合においても苦痛から解放されることを望むことを示している場合。

4.医学的な意見により臨死段階がはじまっており、その兆候がある場合。

5.行為が医師によって行われること。つまり、主治医、あるいは医療専門家、あるいは主治医や専門家と相談しながら医師が行うこと。


これらすべての条件が存在している場合、患者の苦痛を限り除くために、適量以上の薬が投与されること、つまり苦痛の除去が生命を短縮させることを受け入れるという考えを医師たちは示した。ポストマ事件の判決では、この医師たちの考える安楽死の条件が引用された。判決は禁固一週間、執行猶予一年。文書による患者の意思表明があったのかどうかが明確ではなく、有罪となったのはおそらく看護師たちの証言があったにせよ、文書がなかったからだろうと考えられる。

引用・参考文献:「オランダ寛容の国の改革と模索」太田和敬・見原礼子著 子どもの未来社,2006.11


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