ユーゴスラビア紛争
出典: Jinkawiki
ユーゴスラビア連邦解体の途中で起こった内戦である。1991年から2000年まで主要な紛争が続いた。
問題を複雑、かつ深刻にしたのは、独立を宣言した共和国も単一民族ではなかった。中に少数民族を含んでいたり、多くの民族で構成されていたりしたことであった。スロベニアの場合はほとんどがスロベニア人であったので、独立は簡単に実現できたが、クロアチアはクロアチア人の多数派以外にセルビア人がいた。またボスニア=ヘルツェゴビナはセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の三勢力が同じであり、多数派が存在していなかった。一方、セルビア人はセルビア以外のセルビア人を保護することでそれぞれに介入し、それは他の民族からは「大セルビア主義」として非難された。クロアチアとボスニアにとっては「紛争」ではなく、「セルビア人問題」である、との声もある。
また紛争の要因に、宗教と文化、言語などの違いがあるが、このバルカン半島ではキリスト教徒・ギリシャ教徒・ムスリムは数百年にわたって入り交じり、平和に共存していたのであり、問題の要因となったことはなかった。問題は一部の過激な民族主義者にあおられた面が強いが、それを作りだしたのは、東欧革命とソ連解体の中から吹き出てきた民族主義的な動きであり、ティトー亡き後のユーゴスラビア連邦の自主管理社会主義体制の求心力が亡くなったと考えられる。