伊藤博文2

出典: Jinkawiki

 伊藤博文

天保12年9月2日-明治42年10月16日。日本の政治家。 明治国家の建設に中心的な役割を果たした。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長・韓国統監府統監・貴族院議長・兵庫県知事を務めた。立憲政友会を結成し初代総裁。アジア最初の立憲体制の生みの親であり、またその立憲体制の上で政治家として活躍した最初の議会政治家として、その功績は高く評価されている。

博文は幕末の長州藩で武士より身分の低い足軽の子として育った。初めて江戸に行くお祝いの日、萩名物の「白魚」を食べて泣いて喜んだといわれている程貧しかった。青年となった博文は、吉田松陰の松下村塾で学んだ。人間が出世するのは「すぐれた人との出会い」だと教えられた博文は若い時から多くの先輩に接し、その才能を認められた。最初は尊王攘夷の志士として活躍したが、文久2年(1863年)にイギリスに渡米するが、留学中にイギリスと日本のあまりにも圧倒的な国力の差を目の当たりにして開国論に転じた。

 明治4年(1871年)岩倉具視使節団が欧米に2年近く派遣されたとき、博文は大使の岩倉についで副使になった。このとき英語が話せる博文は使節団を代表して演説した。その中で博文は、数年間続いた我が国の古い制度は「一個の弾丸も放たれず、一滴の血の流されず、撤廃された」(廃藩置県のことを指す)そして日本の国旗にある赤い丸は「今まさに洋上に昇ろうとする太陽を象徴し、わが日本が欧米文明のただ中に向けて躍進するしるしであります」としめくくった。これが名高い日の丸演説で、万雷の拍手をあびた。  明治維新後その才能から、外国事務局判事、大蔵兼民部少輔、初代兵庫県知事、など明治政府の様々な要職を歴任する。 博文が残した最も大きな業績は、憲法制定と国会の開設だった。自由民権運動が高まる中、国会の開設の時期について、政府の中での意見が分かれた。1881年大隈重信は2年後に国会を開設することを主張したが、博文は時期早々と反対して、大隈を政府から追い出した。同時に博文は9年後に国会を開設することを約束した。日本に憲法が必要だと考えた博文は1882(明治15)年から1年以上もヨーロッパに留学し、ドイツの憲法学者などから講義を受けて帰国した。その後1885年に内閣制度を創設し、自ら45歳で初代総理大臣に就任した。その後の数年間、博文は多くの人々と相談しながら憲法草案を練りあげた。彼は憲法制定の過程で多くの保守派の反対を押し切り、予算の制定と法律は会議の承認を必要とする原則を貫いた。こうして博文が心血を注いだ大日本帝国憲法は1889(明治22)年に発布された。ドイツの憲法に学びながらも、日本の伝統に基づいたその内容は、民間の急速的な自由民権論者や諸外国のマスコミからも称賛されるものであったといわれている。

明治37年(1905年)の第二次日韓協約によって大韓帝国が日本の保護国となり、韓国総督府が設置されると初代統監に就任した。日本は実質的な朝鮮の支配権を掌握した。博文は国際協調重視派で、大陸への膨張を企図して韓国の直轄植民地化を急ぐ派閥と対立した。1909年7月に韓国併合基本方針が閣議決定されてもなお「本格併合は将来的な課題」として早期併合に反対していた博文だが、統監であったことが韓国国民の恨みを買うことになり、結果的に暗殺につながる。明治42年(1909年)統監を辞任、枢密院議長になったが、ロシア蔵相と満州・朝鮮問題について非公式に話し合うために訪ねたハルビン駅で、韓国の民族運動家、安重根によって襲撃され死亡した。この博文の死は、「日本の大損失であると叫び、明治維新の大巧臣、憲法政治の大元首、古今無類の偉人を失ひたりと嘆き」と博文を高く評価した。

 博文は他の元老たちと異なり、生涯にわたって財産もたくわえず、誰とも分け隔てなく付き合ったといわれている。生前彼が残した言葉に「酒を飲んで遊んでいるときでも、私の頭から終始、国家という2文字が離れたことなない。私は子孫のことや家のことを考えたことがない。いかなる場合でも、国家のことばかりだ。」こと言葉から分かるのは博文の活躍を支えたのは、まさに「国家を思う心」だった。


参考資料

フリー百科事典ウィキペディア    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87

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