古典的自由主義2

出典: Jinkawiki

古典的自由主義とは、個人の自由と小さな政府を強調する思想であり、伝統的自由主義、レッセフェール自由主義、市場自由主義、また英語ではリバタリアニズム、 英米以外では単に自由主義(リベラリズム)と呼ばれる(レッセフェール・・・フランス語で「なすに任せよ」の意)。 小さな政府(政府・行政の規模・権限を可能な限り小さくしようとする思想または政策)を強調する考えであり、 18世紀末から19世紀にかけての、経済学的自由主義(経済における意思決定は最大限 個人にゆだねるべきであり、組織集団によってなされるべきではないとするもの)と、 政治的自由主義(個人の自由な意思決定と活動が国家による侵害を受けないべきである考えるもの)が融合したものである。 ジョン・ロック、アダム・スミス(『諸国民の富(国富論)』)、デイヴィッド・ヒューム、デヴィッド・リカード、ヴォルテール、モンテスキューらの書物で挙げられているものであり、 古典的自由主義の規範の中心となるのは、レッセ・フェール(自由放任、政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せるという意)の経済によって、内在的秩序、 すなわち見えざる手が働き、社会全体の利益となるという考えである。 ただし、限られた範囲ではあるものの、国家が一定の基本的な公共財を提供することには必ずしも反対しない。 アダム・スミスは、『国富論』の中で、社会が狩猟社会から産業社会へと進歩していくとともに、戦争による戦利品は増えるであろうが、戦争の経費もそれを上回って上昇するので、 産業化した国にとって戦争を行うことは難しく、コストのかさむものになるであろう、と論じた。

古典的自由主義は、特に個人の自律権を強調し、財産権が個人の自由にとって不可欠であると考える。これが、レッセ・フェールの原則の哲学的基礎になっている。 古典的自由主義の起源は、古代ギリシア及び中世の思想に遡ることができる。16世紀スペインのサラマンカ学派などがその起源とも言われている。 彼らは、人権と国民主権を強調し、道徳は宗教に基づかなくてもよいと信じ、また商業を道徳的なものとして弁護した。デジデリウス・エラスムスやニッコロ・マキャヴェッリなど その他のルネッサンスの思想家は、中世の宗教的伝統に代わるヒューマニズムの台頭を象徴している。 トマス・ホッブズやバールーフ・デ・スピノザといった17世紀の合理主義思想家は、社会契約のような、後に自由主義が重きを置くことになる理論を発展させた。

しかし、自由主義が古典的な形で定式化されたのは啓蒙時代になってからであった。ジョン・ロックの『市民政府二論』は、権力の正統性は被治者の同意に基づくとし、 アダム・スミスの『国富論』は、経済への国家の介入と保護貿易を主張する重商主義を退け、現代的な自由市場経済の理論を発展させた。 このほか、初期の自由主義的表現としては、フィンランドの政治家で哲学者のアンデルス・キデニウスが推進した、自由主義北欧学派がある。

ヨーロッパでは自由主義は多くの対抗勢力からの反対を受けたのに対し、アメリカでは、自由主義の理想に対する反対はほとんどなかったため、自由主義は強く根付いた。 産業革命期から大恐慌を経て、アメリカの自由主義は最初の思想的挑戦を受けることとなった。大恐慌の時までに、アメリカの自由主義は、それまで反対していた大きな国家に対する考え方を変えた。なお、これに対しヨーロッパでは、イギリスの島々を除けば、自由主義は、社会主義のようなライバルたちと比べて、かなり弱い立場にあり、支持を失っていたので、その意義についての変化も起こらなかった。ところが、1970年代までに、経済の伸び悩みと税金・負債の上昇が、新たな古典的自由主義の復活を促したフリードリヒ・ハイエク(1899年 - 1992年、オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、哲学者)とミルトン・フリードマン(1912年 - 2006年、アメリカ合衆国ニューヨーク出身のマクロ経済学者)は、財政政策における政府の介入に対する 反対論を述べ、その考え方は1980年代から、アメリカ及びイギリスの保守政党によって採用された。


参考資料 やさしい政治経済ブログ http://yasui19.exblog.jp/8932409


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