日本国憲法
出典: Jinkawiki
日本国憲法
日本国の現行の憲法典
日本国憲法は、第二次世界大戦における大日本帝国敗戦後(被占領期)に、大日本帝国憲法の改正手続を経て1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。施行されてから現在まで一度も改正されていない。 国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を採り、個人と基本的人権の尊重を期するため、国会・内閣・裁判所・地方自治などの国家の統治機構と基本的秩序を定める。この他、戦争の放棄と戦力の不保持が定められていることも特徴的である。 日本国の最高法規に位置づけられ(98条)、下位規範である法令等によって改変することはできない。また、日本国憲法に反する法令や国家の行為は、無効とさ れる。
《憲法改正までの経緯》
ポツダム宣言において、「平和的傾向を有し、かつ責任ある政府」が樹立されれば、「連合国の占領軍は直ちに撤収する」と明記されていた。「責任ある政府」の指標が、アメリカでは新憲法の制定と、民主主義的な政治制度(特に議会)の樹立におかれていた。アメリカはハーグ条約(陸戦法規)に従って、占領地の法体系と統治機構を尊重するという建て前をとらざるを得ず、GHQが作成した新憲法を公然と日本政府に押し付けることはできなかった。
*ハーグ条約(陸戦法規)…1970年第2回ハーグ万国平和会議で確認された「陸戦の法規慣例に関する規則」で、「絶対的の支障なき限り占領地の現行法規を尊重すべき」とされた。
また、対日占領政策の最高決定機関として極東委員会が設置され、1946年3月から審議を開始することが予定され、以後は新憲法の内容や制定手続きなどを決定する主導権がこれに移ることも避けられなかった。
GHQはこうした問題を抱えながら、新憲法制定の主導権を確保するために、日本側が自主的に憲法改正を進めているという体制をとり、それに「内面指導」を加えるという方針を案出した。
1945年10月4日 マッカーサー、近衛文麿国務相に憲法改正試案を作成するよう示唆
1945年10月5日 幣原喜重郎内閣 成立
1945年10月25日 閣内に憲法問題調査委員会(松本委員会) 設立 →松本試案意義喪失
1945年12月末 鈴木安蔵、鈴木草案をGHQに提出
1946年1月下旬 民政局長官ホイットニー、GHQ内に憲法草案作成の作業班を組織
1946年2月3日 「マッカーサー三原則」が提示
1946年2月13日 GHQ民政局、GHQ草案を日本政府に手渡す
1946年3月6日 幣原内閣、「憲法改正草案要領」を発表
以後、第一次吉田茂内閣のもとで、「帝国憲法」の改正手続きに従い、天皇の改正発議→枢密院の諮詢→衆議院・貴族院の審議→枢密院の了承を経て、11月3日に憲法が発布される。
参考文献
佐々木隆璽著 『占領・復興期の日米関係』 山中出版社 2008年発行
粟屋憲太郎著 『東京裁判への道』上 講談社 2006年
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