旧ユーゴスラビア
出典: Jinkawiki
概要
旧ユーゴスラビアとは、1945~91年ユーゴスラビア社会主義連邦共和国であった地域である。ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は典型的なモザイク国家であった。この国は、7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)を接し、6つの共和国(セルビア、クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、スロベニア、マケドニア、モンテネグロ)で構成され、5つの民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、マケドニア人、モンテネグロ人)が存在し、4つの言語(セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語)を使用し、3つの宗教(ギリシャ正教、カトリック、イスラム)を信仰し、2つの文字(キリル文字、ラテン文字)を使う。
旧ユーゴスラビアは、中央の計画経済をおしつけることなく、各共和国に一定の自主権を認める典型的な連邦国家であった。対外的には、建国の父チトーによる非同盟中立外交で、国際的な注目を集め、各国内の工場では、労働者の自主管理による運営がすすめられていた。
歴史
1990年前後から、東ヨーロッパ諸国で、政治の民主化がすすむと、経済の発展した北部のスロベニアやクロアチアでは、民族運動が高まった。かねて農業中心の南部各共和国への経済的負担を不満としていた両国は、1991それぞれ独立。 スロベニアとクロアチアの独立に対し、セルビアとクロアチアの間で内戦が始まった。1991年にマケドニアが、1992年にボスニア=ヘルツェゴビナが独立を宣言すると、残ったセルビアとモンテネグロは、新ユーゴスラビア連邦を結成し、2003年にセルビア=モンテネグロと改称した。しかし、2006年には分離してしまった。こうして旧ユーゴスラビアは消滅した。そして、各民族が混在しているボスニア=ヘルツェゴビナでは、セルビア人勢力、クロアチア人勢力と、イスラム教徒(ムスリム)の3勢力で内戦となった。その結果、セルビア人共和国とボスニア連邦(イスラム教徒、クロアチア人)による領土分割で和平案が合意した。また、セルビアのコソボ(自治州、アルバニア人が多い)は2008年に独立を宣言した。
参考文献
『用語集 現代社会+政治・経済 12-13年度版』清水書院
『シグマベスト 理解しやすい地理B 改訂版』文英堂