朝鮮戦争11
出典: Jinkawiki
朝鮮戦争
概要
1950年6月25日早朝、南北朝鮮を分断する38度線の全域にわたって戦端が開かれた。以来、翌年7月10日に休戦会談が始まるまでの約1年間、朝鮮半島の全域を舞台に戦線は何度も38度線を上下し、南北に分断された朝鮮民族の相互に大きな傷跡を残す凄絶な戦いが展開された。その上、米軍を中心とする国連軍の介入とその38度線以北への北進に対抗した中国義勇軍の参戦の結果、戦争は原爆の使用や米中間の全面戦争への拡大が懸念されるところまで及び、国際的緊張を一挙に高め、米ソ間の際限のない核軍拡競争や日本を含め各国で再軍備が強行される契機ともなった。
開戦
1950年6月25日、朝鮮戦争が開戦した。北朝鮮の指導者金日成が、韓国を武力で占領して社会主義体制を敷き、朝鮮半島を統一しようと企てた戦争であった。金日成は電撃戦で短期間に韓国を制圧する計画を持って臨んだ。
アメリカの参戦
北朝鮮は、米軍は戦争には介入できず、簡単に勝てると思い込んでいたが、開戦と同時にアメリカ政府は介入を決意した。冷戦の倫理に従い、北朝鮮の共産主義者にも一切の領土拡張を許さないとしたのである。その後、国連安全保障理事会は北朝鮮軍を非難し、その武力攻撃を撃退する決議を採択した。しかし、この間にも北朝鮮軍は韓国軍を撃破して進撃を続け、ソウルを占領し入城した。これに対抗するため、日本に駐留していた地上軍四個師団のすべての出動を命じた。しかし、北朝鮮軍が有利な情勢に変わりはなかったが、マッカーサーが立案した仁川への上陸作戦を成功させ、連合国が形勢を逆転し、再びソウルを奪還する。
中国の参戦
連合国がソウルを奪還し、朝鮮半島の統一を考えているとき、中国の人民義勇軍が参戦してきた。約10万人の義勇軍を目の前に、連合国はなすすべなく、再びソウルを占領されてしまう。しかし、その後連合国の再反撃があり、ソウルを再び奪還し、以後38度線付近で一進一退の攻防が続く。
停戦
一進一退の攻防の続く中で、マッカーサーは核を使用した全面核戦争を提案したが、トル-マン大統領に解任される。そして、1953年7月27日、板門店で、北朝鮮、中国、国連の休戦協定が結ばれた。しかし、韓国はこの調印を拒否したため、現在も停戦のままである。
参考文献
「占領・復興期の日米関係」佐々木隆爾 日本史リブレット、「史料でたどる日本史事典」木村茂光・樋口州男 東京堂出版