辛亥革命

出典: Jinkawiki

辛亥革命

1840年のアヘン戦争以来、清は帝国主義国の侵略を受け、半植民地状態になった。その動きは、義和団事件を経てさらに加速していった。 民衆の中には、清国政府を倒し、民族の独立を守ることのできる近代国家を建設しようという革命運動が起こった。その中心となったのが孫文である。彼は、中国同盟会を結成し、三民主義を唱えて革命運動をおし進めていった。また外国の侵略を防げず国内政治は混乱をきわめた。1911年、窮乏する国家財政を立て直すため清政府は鉄道の国有化を行おうとしたが、清国が外国から資本を借り受けることは外国資本に国益を売り飛ばす行為として四川省で中国民間資本鉄道の国有化反対運動が起こった。すると、革命運動はさらに高まり、1911年、中国南部の武昌で、軍隊が反乱をおこした。これをきっかけに革命運動は全国に広がり、多くの省は清国からの独立を宣言した。これが辛亥革命である。 名前の由来は革命がおきた1911年の干支が辛亥だったためである。

<その後>

翌年には、革命軍は孫文を臨時大統領とし、南京を主とする中華民国を建国した。これによって、アジアでは初の共和制国家が誕生し、基本法たるいわゆる臨時約法を公布している。清国政府は、軍閥である袁世凱に臨時政府を倒すよう命じた。しかし袁は中華民国政府が戦争継続の資金がないことを知ると、皇帝の退位を条件に自らが臨時大統領になるという密約を中華民国政府と交わした。そのため皇帝は退位して清国は滅んだ。 袁は孫文から大総統の地位を譲り受けると、革命勢力を弾圧し、首都を北京に移した。また、憲法や議会を無視して独裁政治を行った。彼の死後、中国各地では軍閥によってばらばらに支配されることになり、国内は混乱が続いた。

参考文献 「中学総合的研究社会」 旺文社 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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