魔女狩り2
出典: Jinkawiki
魔女狩り
魔女狩りとは、主に15世紀から18世紀に発生した社会現象のことである。魔女(witch)とされた者が告発され裁判にかけられ、時に死刑となる。魔女とされる者は、かつて村里外れた家に住む、異形の老婆のイメージがあった。占い師や産婆、精神障害者などは魔女に見られやすかったが、実は大多数は一般の中小階級の者であることが多かった。その告発も聖職人や知識人ではなく、近所の人、また周囲の一般人が多かった。しかし、15世紀後半に形成されてった概念では、魔女とは悪魔と契約をした人間のことを指している。悪魔との契約によって不思議な能力や特別な知識を得ることができるが、その代わりに人間は悪魔に唆され邪悪な所業を行うと考えられていた。だが地域的にドイツと限定すると、魔女像が微妙に違う。魔女は語源から明らかなように「賢い女性」の系列である。彼女たちは、キリスト教により馴致されていった社会から異形の人として追い詰めらていた。元々キリスト教には「女性嫌い」の性格があり、かつ女性が持つと信じられていた魔力の属性がより彼女たちを異端扱いされることになったのだ。魔女の能力としてあげられるのが、空中浮遊や瞬間移動、それだけでなくペストを流行らせる、ペストを治す、異性をたぶらかす、呪う、作物を人より多く収穫するなど実に様々なものがあった。それゆえ、どんな相手であっても魔女の疑いをかけられるのはいとも簡単なことなのである。年齢構成については、地域的にバラエティがあったとしても1590年頃の迫害の波の最初の魔女の犠牲者は、90%以上が女性であった。また、魔女は女性だけというわけではなく、「男性の魔女」は15%存在した。アイスランドにいたっては告発された90%が男性であった。
背景
当時の人々は魔女に対してとても歪んだ見方をしていた。そのため魔女狩りによってどれだけの人が処刑されたかははっきりしていない。数万人~数百万とまちまちである。魔女狩りが猛威を振るったのは、16~17世紀であり、これは宗教改革とほぼ重なる。カトリックとプロテスタントの対立が激化した時期である。特に17世紀は「危機の世紀」と言われ、戦争、革命、疫病、飢えにより人々が不安の中で生きていた時代だった。今までの社会の仕組みが崩れたプロテスタントの国(ドイツ、イギリス、オランダ、アメリカなど)で魔女狩りが激しかったことが注目される。つまり、人々が不安に駆られる中、弱者が「社会の敵」として犠牲になったと考えられる。いわゆる集団妄想、集団ヒステリーであった。特にドイツでは記録上に残っているだけでも8000人以上の魔女が処刑されている。かの有名な「ヴァルプルギスの夜」の魔女と悪魔による暗黒サバトという伝承もドイツゆかりのものであり、他にはポーランドやスイス、スコットランドで激しい魔女狩りが行われた。
参考文献
『魔女狩りという狂気』 アン・ルーエリン・バーストウ著 黒川正剛訳 株式会社創元社
『魔女狩りと悪魔学』 上山安敏、牟田和男編著 人文書院
ハンドル名:京都