アダム・スミス

出典: Jinkawiki

アダム・スミス

アダム・スミスは、経済学の創始者として絶対に学んでおきたいところである。

市場至上主義が迎えた金融危機。新自由主義の象徴として「アダムスミス」があげられている。(象徴じゃないにしても、国富論で自由競争を肯定していた。)世間では、アダムスミスは、「全てを市場にゆだねること(厳密にはすべてではないが)が最良であり、市場で自由な競争を促進させるべきである。」で「市場であれば、なんでもよい」と考えたとされている感じが一般的に思われている。  アダムスミスは、ものすごくとまではいかないが、あまりよく思われていないのは確かである。 まず、アダムスミスの「見えざる手」について これは国富論に出てくるのであるが、実はアダムスミスとしてはそんなに重要ではなかった。 アダムスミスが国富論にといたのは、マクロでうごく経済の枠組みをとらえることであった。社会の利益は個人が利益をもとめることによって作り出される。それは見えざる手になる。 つまり、市場の原理を考えたわけだ。そして市場は競争がなければいけない。ここでは確かに競争が重要になる。この結果、社会が豊かになるからだ。(ここで注意してほしいのは、これが国富論の全てではないということ。)

それでは、秩序がなくても競争してもいいのかと考えていたのだろうか。それは違う。

そのカギは道徳感情論にある。道徳感情論は、心理学の本である。スミスは、共感とはなにかをとき、また、監視するものとして、公平な第3者を発見した。実際には、自分の内側に作り出した、ものに公平な判断をゆだねているのだ。 なた、スミスは、正義と慈愛や、感嘆や尊敬についてとき、「徳への道」と「財産への道」の二つの道があるとした。 徳と、英知を持つことにより尊敬される。共感されるのが、「徳への道」 財産をもつことにより、尊敬される。共感されるのが、「財産への道」 この二つの道を同時に歩むことこそが重要である。

公平な第3者=監督者が納得する「徳への道」 つまりは、フェアプレイであることが競争をするうえで一番大事なことであると、アダムスミスは考えている。 フェアプレイでは、「徳への道」が順守され、公正な競争になる。不正を行うものはだれもなく、一定のルールに従い、道徳を守り協調とは違うかもしれないが、秩序が保たれる。


このように説いている。「市場であれば、なんでもよい」と考えていたわけではないのだ。むしろ、フェアプレイの重要性をとき、公正であることが重要であると考えていたのだ。このような考えをもっていたアダムスミスが何故非難されなければならないのか。

参照URL http://couldnot07107lr.blog13.fc2.com/blog-entry-8.html 項目名項目名


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