アダム・スミス6

出典: Jinkawiki

目次

概略

誕生:1723年6月5日(スコットランド) 死亡:1790年7月17日(イギリス) 職業:哲学者、倫理学者 主著:「道徳感情論(倫理学書)」(1759年)「国富論(経済学書)」(1776年)

スミスの生涯

スミスは、スコットランド啓蒙の中心人物であった哲学者フランシス・ハッチソンの下、グラスゴー大学で道徳哲学を学んだ。ハチソンはフーゴー・グロティウス、サミュエル・プーフェンドルフらの自然法思想を継承する道徳哲学者であり、スミスもこれらの思想的潮流から影響を受けている。 グラスゴー大学卒業後、オックスフォード大学に進んだが中退。1748年にエディンバラ大学で文学と法学の講義を始める。 1751年にはグラスゴー大学の論理学教授に就任。翌年道徳哲学教授に転任した。スミスは1750年頃に哲学者ヒュームと出会い、ヒュームが他界する1776年まで親しくし、『人間本性論』に代表されるヒュームの啓蒙思想にも大きな影響を受けている。1759年には主著『道徳感情論』を出版している。 1763年にグラスゴー大学を辞職すると、スコットランド貴族ヘンリー・スコットの家庭教師としておよそ3年間フランスやスイスを旅行した。この間スミスは、ヴォルテール、ケネー、テュルゴーなどのフランス啓蒙思想の重鎮とも交流を持った。 イギリス帰国後は執筆活動に専念。1776年に主著『国富論』を出版する。 その後、1778年にはスコットランド関税委員に任命され、1787年にはグラスゴー大学名誉総長に就任した。 スミスは生前「法と統治の一般原理と歴史」に関する書物を出す計画があったが、亡くなる数日前に友人に命じてほぼ全ての草稿を焼却させてしまう。焼却されずに残った草稿はスミスの死後、『哲学論文集』(1795)として出版された。また、1895年にはグラスゴー大学時代の学生がとった講義ノートが見つかっており、『法学講義』として後に公刊された。

スミスの思想

原題を直訳すると『諸国民の富の性質と原因に関する研究』。全5編の経済学書。10年の歳月を経て完成された大著によって,社会の富の生産と分配という経済学上の課題が初めて理論的、体系的に分析される。資本主義的生産が支配的になりつつあった 18世紀のイギリス社会を念頭におき,自由主義経済政策の意義を客観的に裏づけようとしたものであったが,社会の内面的機構を理論的かつ全面的に分析した点で,それ以前の単なる断片的な政策主張の経済論とは異なり,経済学史上、画期的な著書となった。本格的な経済学は国富論により初めて樹立され,経済学史上最大の古典と評価される。

参考文献

浜林 正夫・鈴木 亮 アダム=スミス ハンドル名:chima


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成