アパルトヘイト

出典: Jinkawiki

今年、南アフリカFIFAワールドカップが開催されました。歴史的意義といえば、この大会は「アパルトヘイト撤廃おめでとう大会」である。1994年に南アフリカ共和国において「人間性への挑戦」と国連が非難したことで悪名高い人種隔離政策「アパルトヘイト」が廃止されたのです。国際社会はこの革命的な出来事を寿ぎ1995年ラグビーワールドカップ開催1996年世界ライフセービング選手権開催2003年世界クリケット選手権開催と国際的なスポーツイベントを南アフリカで開催しました。一方の南アフリカ政府もこれら国際的なイベントを積極的に誘致し、オリンピックやワールドカップなども誘致しました。結果2010年にFIFAワールドカップが開催にこぎつけたのです。


アパルトヘイトは日本で人種隔離政策と呼ばれています。法律で人種を4通りに分けています。 ①白人…ヨーロッパのオランダやフランス、イギリスなどからアフリカ大陸に移り住んできた人たちの子孫なので、「ヨーロッパ人」と呼ばれることもあります。オランダ系の人たちとイギリス系の人たちではふだん使う言葉も違うのですが、アパルトヘイトの中では区別しません。 ②カラード…オランダ人が移り住んだ頃、結婚相手の女性がとても少なかったので、もとから住んでいたコイサン人の女性や奴隷(どれい)として連れてこられた女性と結婚しました。その子孫がカラードと呼ばれます。 ③インド人…南アフリカをイギリスが支配していた時代に、さとうきび畑を働かせるためにたくさんのインド人が連れてこられました。そのため今でもおおぜいのインド人が南アフリカにいます。 ④黒人…バンツー系の言葉をしゃべるいろいろな民族の人たちのことです。もともとアフリカにいた人たちなので「アフリカ人」と呼ばれることもあります。


差別の内容 アパルトヘイトは個人的な気持ちで行う差別ではありません。ひとつひとつ法律で定められたしくみなのです。差別のために作られた法律は数え切れないほど多いので、おもなものをいくつか説明します。 ①国土面積の14%の土地が黒人専用とされました。そこに10個のホームランドと呼ばれる「国」を作らせ、南アフリカの黒人はそこの「国民」とされました。黒人は南アフリカという国にとって「外国人」となるため、南アフリカ市民としてのさまざまに権利は一つも持てないことになります。選挙にも参加できません。選挙したければ、ホームランドの「国」でしろ、というわけです。 【原住民土地法、バンツー自治促進法など】 ②レストラン、ホテル、電車、公園から公衆トイレにいたるまで公共施設(みんなで使う施設)はすべて白人用と白人以外の人用に区別されました。例えば、レストランのテーブルを白人と黒人がなかよく囲むことは法律で禁止されたのです。海水浴場でさえ、白人専用ビーチが作られて、そこに立ち入った黒人はすぐに逮捕されました。【隔離施設留保法】 個人の家もかってに住むことはできません。人種ごとに住む地域が決められました。【集団地域法】 ③人種の違う男女が結婚することを禁止しました。【雑婚禁止法】 たとえ結婚しなくても、恋愛関係だけで罰せられました。【背徳法】

このアパルトヘイト撤廃に最も貢献したのはマンデラ前大統領ではないかと思う。 マンデラは政府に反抗し、牢屋に入れられていた。 釈放直後行われた1994年4月の全人種が参加する選挙で、5月にネルソン・マンデラが大統領となり新政権が樹立された。マンデラは民族和解・協調を呼びかけ、アパルトヘイト体制下での白人・黒人との対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済制裁による経済不況からの回復に努めた。


アパルトヘイトがなくなって 1994年にアパルトヘイトがなくなって南アフリカはどんな社会に変わったのだろうか。ここは南アフリカのワインについてのホームペーなので、ワインを例にとって説明します。 南アフリカにはたくさんのワイナリー(ワインを作っているブドウ農園)があります。ワイン作りの責任者をワインメーカーといいますが、今までは全員白人でした。白人の指図にしたがって働く農園労働者は黒人やカラードでした。そのような南アフリカに、黒人ワインメーカーが生まれました。アパルトヘイト時代には考えられなかったことです。ですから、黒人ワインメーカーはアパルトヘイトがなくなったことの証明です。しかし、黒人のワイナリーはたった1カ所しかありません。他はあいかわらず白人が経営し、黒人が働くというしくみのままです。これは、アパルトヘイトの名残(なごり)ともいえます。  政治的には平等になりましたが、経済的には昔のまま。ほとんどの黒人は旧黒人居住区から離れることができません。離れるのは自由ですが、お金がなければどうしようもないからです。貧しさの中で希望を失った人の中には犯罪に走る人もいます。HIV-エイズの広がりも貧しさと無関係とは言えません。 マンデラ元大統領が唱えた「虹の国」の実現にしても、ムベキ大統領が唱える「アフリカ・ルネサンス」にしても、貧しさに苦しむ人をなくすことが大切です。豊かな白人・貧しい黒人という区別がない世の中になってはじめてアパルトヘイトは遠い過去の話になるのだと思います。今はまだアパルトヘイトの「負の遺産」が残っている時代です。アパルトヘイトが撤廃されてもすぐにあらゆる問題が解決はしません。アパルトヘイトがもたらしたものは貧困、失業といったものだけでなく暴力が広く国民に浸透してしまった事も忘れてはなりません。さらに差別意識にしても何百年という昔からあったものでもあるのでそう簡単に消えるものでもないでしょう。


参考文献 http://www.k4.dion.ne.jp/~neeskens/c5.html


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