アパルトヘイト政策
出典: Jinkawiki
南アフリカ共和国において、16%ほどの白人層が、84%の非白人(黒人・アジア人)層を差別・支配した政策のことである。その中心は人工登録法、集団地域法、先住民土地法の3法であり、特にイギリス自治領時代の南アフリカ連邦で1949~50年に強化された。この政策は白人優越主義に基づく人種差別で、17世紀のオランダ人の入植時が最初と考えられる。政治や社会、文化まで、人間生活のすべてにおいて白人と非白人を区別し、白人の優位を維持しようとした。具体的には、参政権の否定、結婚や(白人と非白人の)性交渉の禁止、住居区の設定(集団地域法)、移動の自由の制限などがあった。
差別緩和から撤廃へと社会が変化していったのは、南アフリカ連邦から南アフリカ共和国になった頃である。イギリス連邦から離脱し、共和国として歩み始めたが、アパルトヘイトを強行し続けるあまり国連から経済制裁を受け、国際社会の中で孤立した。1980年代になるとデクラーク大統領がこの政策の見直しを進め、91年には差別法の全廃を達成した。その後デクラークはノーベル平和賞を受賞し、同じく受賞した黒人解放運動家のマンデラも選挙によって大統領に選出された。
参考
上杉隆 2008 ジャーナリズム崩壊
大塚秀之 2007 格差国家アメリカ広がる貧困、つのる不平等
http://www.h3.dion.ne.jp/~win-tom/sogo4.htm http://homepage1.nifty.com/yk/conflict/safrica.htm http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761561373/content.html