アフガニスタン戦争

出典: Jinkawiki

目次

アフガニスタン戦争とは

「アフガニスタン戦争とは」1979年12月のソ連軍のアフガニスタン侵攻後の戦争を指す。すなわち、ソ連・アフガニスタン政府連合と反政府勢力との戦争である。アフガニスタン戦争の根源は1977年の「四月革命」とその後の内乱にある。この4月革命の中核勢力となったのがソ連政府のアフガニスタン人民民主党の内部対立であった。また、アフガニスタン戦争におけるソ連・アフガニスタン政府連合に対する反乱勢力の圧倒的主力は、パキスタンの北西辺境州などを根拠地とする「イスラーム・ゲリラ勢力」である。


4月革命

アフガニスタンは農業国であり、1978年の四月革命の1年前の時点では労働人口の72%は農業に従事していた。文盲率は90%に達し、農業人口のほとんどが文盲であった。国民からの民主化要求を受けて当時のザーヘル国王が上からの民主化を進めた。しかしこれは予防的妥協であり、政治的安全弁としての役割を持たされていたため国民の不満は解消されなかった。そんな中ザーヘル国王の義弟ダーウード元首相は1973年、国民の不満を背景に国王の外遊中に「共和革命」なる政変を行った。しかし知識人層はダーウード政権に対して失望し、1978年4月27日、首都カーブルで陸軍と空軍によるクーデターを起こした。これが4月革命である。革命後はアフガニスタン人民民主党(PDAP)のタラキー書記長が革命評議会議長兼国家元首(大統領)兼首相に就任した。


内乱から国際的戦争へ

1978年4月革命の直後から各地で反政府の動きが発生したが、各種反乱勢力のゲリラ活動が急増したのは1979年1月布告の土地改革令の実施時期と一致する。同年1~3月の間の反政府ゲリラ活動はまだ散発的だったが、そのあとは土地改革の実施と符合して5月頃から農民の反乱勢力参加が急増した。7、8月には28州のうち20州でゲリラ活動がみられるようになり、8月には首都カーブルで政府軍が反乱を起こすなど、もはや単なる反政府暴動の域を超えて内乱の色彩が濃くなってきた。1980年1月になると、パキスタンの北西辺境州ペシャワール市を根拠地とする反アフガニスタン政府6組織が反政府・反ソ統一戦線を結成した。アフガニスタンの内乱はソ連の大規模な軍事介入によって国際的色彩を強めていったのである。


参考文献

『現代アジアの戦争―その原因と特質―』(1933年9月25日) 編集者:森利一 発行所:啓文社


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