アフガン戦争5
出典: Jinkawiki
―概要―
アフガン戦争(英語:Afghan Wars)は、近現代にアフガニスタンを舞台に起こった諸戦争のうち、特に19世紀から20世紀初頭に行われたアフガニスタンとイギリスの間の三次にわたる戦争のこと。アングロ・アフガン戦争ともいう。
第一次(1838年 - 1842年)と第二次(1878年 - 1881年)のアフガン戦争は19世紀に繰り広げられたグレート・ゲームの一環として、中央アジアに進出したロシア帝国がインドへと野心を伸ばしてくることを警戒したイギリスが、先手を打ってアフガニスタンを勢力圏に収めるために行った軍事行動であり、第二次アフガン戦争によってイギリスはアフガニスタンを保護国とした。アフガン戦争は狭義にはこの二度の戦争を指す。第三次アフガン戦争(1919年)は第一次世界大戦直後に行われた戦争で、アフガニスタンがイギリス領インド帝国に攻め込んで独立を認めさせた戦争である。
19世紀初頭までにインドを掌握したイギリスと、アフガニスタンとの3回の戦争。「インドの保全と権益」を守るために,ロシアの「南下政策」を阻止することがイギリスの戦争目的であった。
【第1次戦争】
アフガンの領有が目的ではなく,3王統に分裂した地域を統一し,ロシアの緩衝国に仕立てあげることにあった。
結果的にはバーラクザーイ朝が勝利を収め,ここにアフガニスタンが成立した。(1842)
【第2次アフガン戦争】
第2次戦争は,1857年に成立していたバーラクザーイ朝アフガニスタン王国がアレクサンドル2世即位時のロシアとの接近を深めたことからおこり,その結果,イギリスは同国を保護国としたが,対ロシアの緩衝国として役立たなかったため,イギリスは領土を奪取,これを北西辺境州として自領に取り込むなどの措置を講じた。
こうしてアフガニスタンは領土を切り取られたために,その中心的な民族であるパターン族が現在のパキスタンに分布するようになった。
【第3次】
第一次世界大戦後の1919年,アフガニスタンは独立を宣言する。
【結果】
第3次アフガン戦争でアフガニスタンは敗北したが,イギリスは,プロレタリア独裁政権成立を達成したロシアが「領土拡張政策」を断念したとの判断と、アフガニスタン王国が「社会主義の対抗勢力」であるとの理解から,アフガニスタンの主権を完全に回複した。
こうして、イギリスの保護国であったアフガニスタンは、___条約(1919)によって正式に独立が承認された。
【その後のアフガン】
しかし独立後も国王の亡命や暗殺事件などが続発し,第二次世界大戦後は,インド=パキスタン分離独立によって、パキスタンとの国境紛争も生じていた。
さらに、ソ連によるアフガニスタン侵攻なども起こった。