アフガン戦争6
出典: Jinkawiki
アフガン戦争
01年9月の米同時多発テロへの報復として米国は同年10月、 首謀者とみなす国際テロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディン容疑者をかくまう アフガニスタンのタリバーン政権を攻撃した。約2カ月で同政権は崩壊。 04年10月には大統領選挙が実施され、カルザイ大統領が就任したが、国軍や警察などの治安機構の確立が遅れている。 北大西洋条約機構(NATO)主体の国際治安支援部隊(ISAF)が全土に展開しているが、治安は再び悪化している。
冷戦後、米ソの直接的な軍事的介入が治まったのも束の間、 アフガニスタンは国際社会から見捨てられたようになり、無政府状態に陥りました。 各地に軍閥が出来て権力者も色々変わります。 しかも国内にはソ連軍が捨てていった武器が多数あるので 容易に武力衝突が起こり、治安も更に悪化します。
そんな中、難民としてパキスタンに逃げた人達の息子世代がパキスタンで過激なイスラム思想を学び 「故郷」(見た事も住んだ事もないんですが)を立て直そうとパキスタン政府の援助も受けて アフガニスタンに行き、各地を制圧して行きました。「タリバン」の誕生です。 最初、タリバンの制圧地域では治安が改善し民衆もタリバンを支持したそうです。 ですが、治安回復の次には圧政が待っていました。 タリバン達はアフガニスタンの長い歴史など知りません。 知ってるのは戦闘のしかたと原始イスラム教の教えだけです。 文明の産物や娯楽はごく一部を除いて禁止され、 1,000年以上昔のイスラム教成立時への回帰を目指す政策(と言えるかどうか)が取られました。
タリバンは言ってみれば大規模なカルト教団そのもので、 イスラムの教えを極端に解釈しそれに従うのが善、従わないのが悪と断定されました。 1,000年以上前に確立した教えを時代背景やその間の期間にあった事実を無視し現代に当てはめようとしたのです。 勿論カルト教団がよくやるようにイスラムの教えでも自分達に都合の悪い部分は無視し、 堂々とそれらの戒律を破りました。 (例えばイスラム教では戦争で敵兵を捕虜とすることは認めていますが捕虜を殺すのは禁じられています)
また、タリバンは経済問題などを棚上げして「全土制圧」を優先しました。 国民が苦しんでいるのに内政は全土制圧を達成してからやればいいと考えていたのです。 さすがに国際社会もタリバンのやり方を批判し始め、 彼らを援助していたパキスタンも言う事を聞かなくなったタリバンは手に余る存在になっていきますが タリバンは国土の9割以上を制圧し暴走を続けます。 「客人」として迎え入れられたオサマ・ビンラディンも私財を投じ物資・設備面でタリバンを援助します。 特にアフガニスタンで彼が設けた兵士の訓練所はタリバンだけでなく 外国からもイスラム過激派がやってきて訓練を受けていたそうです。 もっとも、タリバン及びオサマはアメリカ本土に大規模テロをしかけるという暴挙に出て アメリカの怒りを買ったのが運のつきで、その後アメリカや北部同盟の攻撃を受けて組織は衰退、
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