アフリカ紛争

出典: Jinkawiki

 アフリカ大陸は現在53の国で構成されている。このほとんどが、かつてヨーロッパ諸国の植民地であったが、第二次世界大戦後の1960年代多くの国々が独立した。アフリカの紛争の多くは、国と国との紛争ではなく国内の争いである。そのなかには、国家権力をめぐる深刻な内戦や、局地的な武装勢力の蜂起などがある。アフリカの多くの国で紛争が起こる最大の理由は、国をおさめる政府の力が弱く、国家が国民から信頼を得ていないためである。治安を維持したり、教育や医療などの社会サービスを提供したり、といった国家の基本的な機能が充分でないため、国家が国民から正当性を得ることができず、結果的に戦争が繰り返されているのである。2000年代に入って、紛争の発生件数は減少傾向にある。その主な理由は1994年にルワンダで起こった大量虐殺を国際社会が防げなかった反省から、国連をはじめ国際社会の紛争への対応が積極的になったためである。アフリカの紛争というと、民族対立の一言で片づけられがちだが、それだけではない。タンザニアでは100を超える民族が暮らしているが、1961年に独立してから大きな紛争はない。その一方、東海岸にあるソマリアでは、ソマリ人という一つの民族だけで構成されているが、20年近く内戦が続いている。アフリカの国境は1880年代半ば、ヨーロッパの国々が植民地としてアフリカ分割をしたときにできたものである。植民地化によって近代国家がつくられ、それにともなって民族が形成された。植民地時代のアフリカでは、ヨーロッパ人の価値観に基づいて、言語教育や歴史教育が行われたが、その影響はアフリカの紛争の原因に深くかかわっている。そのなかでも顕著なのはルワンダ紛争である。1990年代半ばから、国連は武力紛争の解決や平和構築に向けて、積極的な行動をとるようになった。そのきっかけでもある。94年、当時のルワンダの人口は約750万人であったが、4月6日の大統領暗殺事件をきっかけに虐殺がはじまって、100日足らずのうちに少なくとも50万もの人々が虐殺された。ルワンダはツチとフツ、ツワという3つの集団から構成されている。民族対立の背後には政治対立が存在する。また、政治対立の原因には国家権力の問題がある。そして紛争の勃発は国家の統治と深くかかわる。ルワンダは国を追われた難民が30年間も帰国を許されなかったことが直接の原因である。ゆがんだ統治は紛争を引き起こすのである。

参考文献 『なぜ世界で紛争が無くならないのか』 増田弘 講談社+α新書


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