アマゾン横断ハイウェー

出典: Jinkawiki

アマゾン横断ハイウェー建設の経緯

ブラジルの東部のノルデステ地方一帯は、17世紀中ごろまで「世界の砂糖つぼ」といわれるほどに生産を独占していた。広大な農園の拡大と、砂糖を精製するために必要な薪を得るため、森林は片端から伐採され続けていた。この過密地帯のノルデステは、1969~1970年の干ばつで被災者は300万にのぼる悲惨な状況になり、ブラジル政府はこのような事態を放置しておけなくなった。当時のブラジル大統領、メジシ大統領は、東北地方からアマゾンへの入植政策を発表した。これが有名な「人なき土地(アマゾン)を、土地なき人へ」の政策であった。


その政策の実現のためには、ノルデステからアマゾンに人と物資を運ぶための道路が必要であった。そのために建設されたのが「月から見える構築物は、万里の長城とトランス・アマゾニカ(これがアマゾン横断ハイウェーである。)だけ」とブラジル人が自慢するほど巨大な高速道路であった。建設工事は国家最優先事業として1970年にスタートした。東北地方のトカンティンス川流域のエステレイトを起点として、ペルー国境に近いクルゼイロ・ド・スルまで全長3300㎞におよぶ高速道路である。工事の主力は陸軍工兵隊である。とにかく手段を選ばない突貫工事であった。湿地で機械の入れないところでは、ベトナム戦争で使われた枯葉剤が散布された。こうして1975年に人を阻み続けてきた人跡未踏の熱帯雨林、アマゾンの森林地帯に幅50mの風穴が開けられたのである。


しかし、課題は多くある。ブラジル政府の当初の計画では、ハイウェー完成後5年たった1980年までに、ノルデステから100万世帯をアマゾンに入植させるはずであった。ハイウェーの終点に近いアマゾン最奥のロンドニア州には、88年現在で約20万世帯が入植したが、全体では計画は半分ほどしか達成されていない。その最大の原因となっているのは、アマゾンの自然が想像を絶するほどに貧しく、しかも生態系を無視した開発がおこなわれたことにある。 なぜ、今回ブラジルについて調べたのかというと現在BRICsの1つであり、工業、経済ともに発展してきている国であり、ブラジルを知ることは世界を知ることにつながると思ったからである。歴史も深く、とてもおもしろい国であると思う。

参考文献

星沢 哲也 新編 地理資料 2007 東京法令出版

石 弘之 地球環境報告 1988 岩波新書

ハンドル名 yuki0811


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