アメリカの産学協同

出典: Jinkawiki

アメリカの産学協同

産学協同とは、産業界と大学との教育研究活動における協同、提携をいう。1990年代以降は、政府を含めた産官学の協同体制の確立によって、その活動内容や範囲は、大学の基本的営みである教育、研究、社会的サービス、そして大学経営などの大学の機能全般にわたり、かつ相互交流的となってきた。例として、マサチューセッツ工科大学・スタンフォード大学+ボストンシリコンバレー、カリフォルニア大学サンディエゴ校+サンディエゴなどがある。

バイ・ドール法

1980年アメリカは、発明の権利を教員でも国でもなく、大学に帰属させることで大学にライセンス収入という経済的誘因を与えることを狙ったバイ・ドール法を制定した。このことによって、連邦政府資金で行った研究成果を大学が所有し特許化し企業とライセンス契約を結びライセンス収入を得て良いことになった。

ターマン

ターマン(frederic terman)はアメリカの産学協同による活性化を志向した人物である。アメリカのインディアナ州に生まれ、心理学者でありスタンフォード大学の教授である父親と同じく、ターマンもスタンフォード大学を卒業した。MITで博士号を取得する際、その指導教員がブッシュであり、MITでの産学連携を学ぶことになった。そこで同大学の教授になったのだが、ターマンはスタンフォード大学の優秀な卒業生が活躍できる企業が地元にはなかったため、東海岸に就職してしまうことが不満であった。このころはまだスタンフォード大学は全米から学生を集めているわけではなく地元の学生が多かったので、東部に就職してしまうことは頭脳の流出であったという。 そこで、地元企業の育成を目指したターマンは、教え子のヒューレットとパッカードに企業を進めた。この会社が1939年に設立されたヒューレット・パッカードであり、戦後のシリコンバレーの源の一つになった。


産学協同の例

企業との連携

アメリカでは、ターマンによって、企業向け講座が開かれ、企業の技術者が受け入れられるようになった。1952年から、企業からの学生に大学院の単位を与えることにしていたが、1954年に電子工学科はHCPをスタートした。この制度では、参加企業の従業員は週に35時間勤務でフルタイムの給与をもらいながら大学院に通うことができた。さらに、企業からは受講料のほかに、大学に対して一単位につき15ドルが寄与された。この寄付は電子工学科が研究予算として使ってさらに学科の水準を高めるために使われ、地元企業に還元されると説明された。

また1967年にはSITNといった遠隔地放送講座が開始された。SITNとは、50マイル(80キロ)以内にある企業の従業員に、企業にいながら授業が受けられるようにした。1973年のTVIでは、地理的制限がなくなった。ターマンは、企業技術者の教育によって地域内で技術者の共同(コミュニティー)が形成されることを期待したという。

参考文献

アメリカにおける大学の地域貢献~産学連携の事例研究~ 宮田由紀夫 著


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