アメリカの移民問題

出典: Jinkawiki

アメリカの移民法

アメリカの自己イメージを表す言葉として、“e pluribus unum”(多数の中の統一)という標語があり、合衆国の紋章や1ドル紙幣、硬貨などに表象されている。このモットーはもともとは、独立した13州が永続的な同盟を保つことを表明したものであったが、次第に多くの人種と民族からなるひとつの社会、アメリカ合衆国の特質と理想を表現する言葉とみなされるようになった。多数の移民を迎え、「多数の中の統一」を夢見てきた移民の国アメリカにふさわしいモットーである。

《年度別移民数と移民送出地域》  2000年の国勢調査によれば、総人口約2億8000万人中、ネイティブ・アメリカンの人口は約250万人、総人口の0.9%に満たない。つまり、現在合衆国に住む人々の99%強は、過去4世紀近くにわたってアメリカに移住してきた人々とその子孫だということだ。  移民の数が比較的正確にとらえられるようになったのは、1820年から1990年までの170年間で、移民総数5700万人という。次に移民の最も多かった10年は、1901年から1910年が第1位、1981年から1990年が第2位である。アメリカは過去に移民の受け入れ国であっただけではなく、現在もなお多数の移民を受け入れている。移民の歴史が、アメリカの歴史である。  では、どの地域からやってきたのか。1860年までは西欧と北欧が圧倒的な比率を占めていたのが、1861年以降はそれらが次第に減少し、それに代わって東欧と南欧が増えていく。1921年から1960年になると、北アメリカ(カナダ)とラテンアメリカからの移民が増える。1971年以降はアジア系移民が増加する。  2000年現在、アメリカに住むいわゆる有色人種をみてみると、黒人人口3465万人、ヒスパニック3530万人、アジア系1024万人である。人種構成比は、白人75,1%、ヒスパニック12,5%、黒人12,3%、アジア系3,6%、アメリカ先住民0,9%となる。

《移民法と移民政策の変遷》  アメリカは移民を無制限に受け入れてきたわけではない。移民は資本主義の発展の中に伴って、安価な労働力として19世紀の終わり頃までは歓迎されたが、カトリック教徒のアイルランド人やイタリア人、ポーランド人、ユダヤ教徒は差別と偏見にさらされた。彼ら以上に激しい差別を受けたのが、中国人移民であった。1882年、政府は中国人労働者の入国を禁ずる「中国人排斥法」を成立させた。  中国人の次に排斥運動の対象になるのが、アジア系では日本人であり、ヨーロッパ系では東欧や南欧からの新しい移民である。1880年代以降、東欧や南欧から、母国語ですら読み書きが出来ない、貧しい、文化的に異質な移民が大量にやってきた。こうした移民の大量流入に先住組のアングロ・サクソン系は危機意識を募らせた。彼らは新移民がアメリカの文化の統一を破壊し、社会を根底から変化させようとしていると感じた。  第二次世界大戦中と戦後、アメリカは自由主義世界におけるリーダーシップを確保するために規制緩和を行う。1965年には新しい移民国籍法、いわゆる「新移民法」が成立し、不公正な割当枠を廃止した。  最近はヒスパニック系の不法移民の増加が問題になっている。1980年代半ば、国内で逮捕される不法移民の合計が年間100万人を超えるという異常事態に、1986年移民改革規制法が制定される。  現在、アメリカの茶色化が確実に進行しているという。白人と有色人種の割合が逆転するのも時間の問題であると指摘されている。

参考文献:『概説 アメリカ文化史』 編著者 笹田直人他  ミネルヴァ書房 2002年初版第1刷発行 http://www.fic.i.hosei.ac.jp/


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成