アメリカ同時多発テロ5
出典: Jinkawiki
アメリカ同時多発テロとは、2001年9月11日にアメリカのニューヨーク、ワシントン、ピッツバーグの3都市、4か所で起きたテロ事件の総称である。午前8時45分から10時半ごろまでの短時間に、ハイジャックされた4旅客機が次々とビルに激突、または墜落した。
概要
テロの目標となったのはニューヨークマンハッタンの世界貿易センター地区にあるツインタワー(110階建て、地上417メートルと415メートル)とワシントンの国防総省(ペンタゴン)である。最初に、ツインタワーのうちのノースタワー80階付近にアメリカン航空機11便ボーイング767(乗員・乗客92名)が、続いて9時ごろサウスタワー中層部にユナイテッド航空機175便ボーイング767(乗客・乗員65名)が突っ込み、その後両タワーは相次いで倒壊した。9時38分には国防総省ペンタゴン西側部分にアメリカン航空機77便ボーイング757(乗客・乗員64名)が激突した。また、ユナイテッド航空機93便ボーイング757(乗客・乗員45名)は10時半ごろペンシルバニア州ピッツバーグ大学西方に落下した。
被害状況
最初の2つの衝突では10時半までにノースタワーとサウスタワー両棟が相次いで倒壊したため、2機の乗客・乗員全員とはじめの衝突の後に救出活動をしていた消防士300人あまりを含むおおよそ2800人が死亡または行方不明となった。ペンタゴンへの衝突では、乗客・乗員全員が死亡、そのときにいた職員ら125人の死者・行方不明者を出した。ピッツバーグの墜落では乗っていた乗客・乗員64名全員が死亡した。この機は攻撃目標に向かう途中で、自爆テロが計画されていることに気づいた乗客らの抵抗にあい墜落したとみられている。一連のテロでは、ハイジャックされた4機の乗客乗員計266人は全員死亡し、その他の被害者も合わせて合計3251人(うち日本人26人)が犠牲になった。
アメリカ政府の対応
ブッシュ大統領は、速やかに非常事態を宣言した。この事件の後しばらくの間は、さらなるテロに備えて、州兵・予備役が動員された。空港などには厳戒態勢が敷かれ、全ての国境が封鎖された。また、連邦航空局の命令によりアメリカ国内の民間航空路の封鎖、アメリカの領空内での民間航空機の飛行が禁止され、領空内を飛行していた旅客機は最寄りの空港に強制着陸を命じられた。民間旅客機の飛行禁止の措置は数日間続き、アメリカ国内だけでなくアメリカが航空管制を担当している太平洋諸国の一部地域と北大西洋の一部地域などの広範囲に及んだ。アメリカ政府はこのテロ事件をイスラム反米過激化国際テロ組織の黒幕といわれるオサマ・ビンラディンとそのグループの犯行と断定し、対テロ戦争を宣言。2001年10月には、ビンラディンを支援する過激なイスラム原理主義勢力であるタリバンが支配するアフガニスタンに報復攻撃を加えた。11月にはアフガニスタンにおけるタリバン政権は崩壊し、タリバンを年末までに追放した。
参考文献
田中宇著 『タリバン』(2001年・光文社)
堤未果 『グラウンド・ゼロがくれた希望』(2004年・ポプラ社)