アラブの春4
出典: Jinkawiki
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概要
2010年の暮れ、アラブの片隅にあるチュニジアという小さな国で、野菜を売っていた一人の少年が焼身自殺をしたことから、デモが始まった。やがれそのデモは大きなうねりとなり、長年続いた政権を倒した。そしてその動きは国境を越え、近隣の大国、エジプトに飛び火することとなった。民衆の行動は、ついにアラブ世界の大ボスの一人であり、長年にわたってエジプトを牛耳ってきたムバラク大統領を政権の座から引きずりおろした。そして、さらにこの動きはアラブのほかの国へと伝播していった。世界中のメディアがこの一連の動きを「アラブの春」と呼び、「民主化」への大きな前進だと称賛した。
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ネット環境が革命に火をつけた
なぜ、チュニジアから「アラブの春」が始まったのか。チュニジアはアラブの中でも早くインターネットが解禁され、接続しやすい環境にあったため、アラブ諸国の政府や王族の腐敗がいっきに明らかになった。こうした世界的広がりはインターネットがなければ起こりえなかった。「アラブの春」は、遠いアラブの国で起こった無関係の出来事ではなく、これから市民社会がどうあるべきかを考えるうえで重要な出来事であることがわかる。
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メディアによるねつ造
カタールの衛星テレビ局「アルジャジーラ」によって「アラブの春」は世界に報道されたが、報道の意図的な偏りや捏造があった。「アルジャジーラ」は報道規制の多いアラブ諸国の中で、ニューヨーク・タイムズ紙に「アラブ諸国で、最も自由で最も広い観点を持つテレビネットワーク」と評されているが、カタールの政治問題は一切報道しないなど、決して中立・公正とはいえない。
参考文献
重信 メイ 2012 『「アラブの春」の正体』 角川書店