アラブの春2

出典: Jinkawiki

目次

概要

「アラブの春」とは、2010年12月にチュニジアで端を発した、北アフリカと中東の権威主義体制に対する一連の民主化運動のことである。この運動によって、チュニジア・エジプト・リビアでは政権が交代し、そのほかの国でも民主化デモ側の要求を受け入れるようになった。
アラブの春の発端となったものは、2010年12月17日にチュニジアの一人の失業中の青年が、路上販売に対する当局の取り締まりに抗議して焼身自殺を図った事件だ。その後、各地で起きた大規模デモを衛星放送などが伝えると、全国で政権打倒の民主化デモが拡大した。そして2011年1月14日にベン・アリ大統領は国外逃亡をしたので、彼の独裁政権は崩壊した。

インターネットの力

アラブの春における衛星放送は、インターネットの接続性が、ヨーロッパなど教育水準を満たす同世代の若者がはるかに恵まれた人生の展望を享受している事実を、北アフリカと中東の若者に容易に提示したのだ。彼らの相互作用を可能にしたことで、単なるフェイスブックの仲間ですら自分たちよりもはるかに恵まれた物質的生活と機会を享受していることを知らせた。そのことによって、アラブ世界でのインターネットの浸透は、腐敗した体制が指導者の成果の乏しさを隠ぺいすることを困難にした。さらに、いったんデモが始まると、ソーシャル・メディアが様々な活動を容易に動員し調整した。
インターネットには国際社会において政治変革力が潜んでいることを、アラブの春が劇的な例として示した。

アラブの春の成果

チュニジア

上述の通り、ベン・アリ大統領の政権を崩壊へと繋げた。

エジプト

2011年1月25日以降、国内で反体制デモが始まる。首都カイロをはじめ全国各地からデモに参加する市民が増えた。そして2月11日にムバラク大統領が国軍最高会議に権限を委譲し、30年に及ぶ長期政権が崩壊した。

リビア

国内では、反体制派とガタフィ政権との激しい戦闘があり、多くの犠牲者がでてしまった。国際社会は、ガタフィ政権の武力行使を非難し、軍事行動を行なった。その結果、反体制派が首都トリポリを制圧し、42年におよんだガタフィ政権が崩壊した。


参考文献:Joseph S.Nye,Jr.、David A.Welch、田中明彦・村田晃嗣訳(2013)『国際紛争―理論と歴史[原書第9版]』有斐閣
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol87/ 
ハンドルネーム:Ni-yon-zero


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