アルカイダ2
出典: Jinkawiki
米国を始めとする西側諸国に対する「グローバル・ジハード」を主張するスンニ派過激組織。1988年8月に設立。①「ジハード」による被占領地の解放,②イスラム世界における欧米の影響力排除,③カリフ制「イスラム国家」の樹立を目的に活動している。
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主な幹部
オサマ・ビン・ラディン
アルカイダの創設者であり,前最高指導者。1957年又は1956年生まれ。ソ連軍のアフガニスタン侵攻直後から,ソ連軍に抵抗する「ムジャヒディン」(イスラム戦士)の支援に取り組んだ。ソ連がアフガニスタン撤退を発表する中、戦争終結までアフガニスタンで「ジハード」を継続するとともに,ソ連軍撤退後も志願者を選抜して軍事訓練を施すことを目的として,新組織「アルカイダ」を結成した。2005年末頃から,パキスタン北部カイバル・パクトゥンクワ州アボタバードの隠れ家に潜伏していたが,2011年5月2日,米海軍特殊部隊の急襲を受けて殺害された。
アイマン・アル・ザワヒリ
最高指導者。オサマ・ビン・ラディン殺害前は,同人の側近として組織ナンバー2を務めた。1951年6月19日生まれ。イスラム過激組織「ジハード団」(2001年「アルカイダ」と合併)元指導者。15歳の時,エジプトでの「イスラム国家樹立」を目指す地下組織を設立し,カイロ大学医学部進学後に他の組織と統合して「ジハード団」を指導。「ジバード団」の拠点をスーダンにしてからはエジプト政府に対するテロを展開するが、スーダンからの退去を強いられる。その後アフガニスタンに入国してからは、オサマ・ビン・ラディンとともに対米攻撃を唱えるようになる。
アティヤ・アブドルラハマン
アルカイダの元総司令官であり組織の元ナンバー2(2011年5月頃から同年8月まで)。「アルカイダ」関連組織の運営も担当した。1969年生まれ,2011年8月22日死亡。2011年5月にオサマ・ビン・ラディンが殺害されるまで,同人と文書で連絡を取りつつ,テロ作戦の監督に携わった。
アメリカ同時多発テロ事件
2001年9月11日に発生。アメリカに潜入したアルカイダのメンバー19人が航空機4台を乗っ取り、うち2台をニューヨークの貿易センタービルに、1台を首都ワシントン郊外の国防総省に衝突させ、1台をペンシルバニア州で墜落させた。このテロで邦人24人を含む2,977人(犯人19人を除く)が死亡した。
疑問点
アメリカ同時多発テロにおいて、アメリカは被害者であると一般的に報道されているが、以下の点などから、アメリカ政府は事前に情報を得ていたのではないかとも考えられている。
- アメリカのCNNテレビでは、1機目の飛行機が突っ込む映像まで手ぶれもなしにはっきりと映っていた。
- 国防総省(ペンタゴン)と世界貿易センタービルに勤務していた4000人が、事件当日、有給休暇を取っていた。
- 世界貿易センタービルにあるモルガンスタンレーに勤務する3500人のうち、行方不明者は5人だけだった。また、ゴールドマンサックスの社員には事前に警告Eメールが届いていた。
- 911直前にユナイテッド航空とアメリカン航空の株が大量に空売りされていた(ということは、事件後の両社の株暴落によって大儲けした大口投資家がいる。)
- テロリストなら必ず「犯行声明」を出して自らの力を誇示するのに、911にはパンジャブの弱小地下組織の「犯行声明」があっただけだった。
- 飛行機燃料だけではあれだけ大きなビルが崩壊することはない。爆発物があらかじめ仕掛けられていたのではないか。
参考資料
公安調査庁http://www.moj.go.jp/ITH/organizations/SW_S-asia/al-qaida.html
裏ジャーナルhttp://uramedia.blog119.fc2.com/blog-entry-20.html