アンネ・フランク
出典: Jinkawiki
『アンネの日記』の著者。 1929年にドイツのフランクフルトの裕福なドイツ系ユダヤ人一家の末娘として生まれた。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を恐れ、一家とともにオランダに移住する。しばらく比較的安穏な日々が続いたが、1940年5月10日、ドイツがオランダに侵攻。四日後の14日には全域を占領し、国内ではユダヤ人に対する圧力が強まっていった。それまでモンテッソーリ・スクールで普通の少女として過ごしてきたアンネも、一般の学生と引き離され、1941年の夏からは姉のマルゴーともどもユダヤ人学級への編入を強いられるなど、次第に自由を制限されるようになっていった。 ユダヤ人狩りが頻繁に行われ始め、危機的状況が色濃くなってくると、フランク一家は密かに安全な場所へ移り住む準備に取り掛かった。1942年7月5日、マルゴーに労働キャンプへの召集令状が届いたことを契機に、翌6日にはオットーの職場事務所の三階と四階を隠れ家にした籠城生活をスタートさせる。 『アンネの日記』は、主にこの隠れ家での日々を綴ったものである。 アンネとマルゴーはアウシュビッツで二か月を過ごした後、ベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送され、ここが二人にとって最後の棲家となった。ここは絶滅収容所ではなかったが、居住環境は劣悪で、チフスなどの疫病が蔓延していた。 このころのアンネの詳細については、数少ない目撃者からの断片的な証言があるのみではっきりしていない。体力の衰えた姉妹は、やがてチフスにかかり、先にマルゴーが、二、三日遅れてアンネが息を引き取ったとされている。