アンネ・フランク2
出典: Jinkawiki
アンネ・フランク(Anne Frank 1929~1945)はユダヤ人の少女で、『アンネの日記』やエッセイ、童話を書き残した。
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人物
ドイツのフランクフルトで、父 オットー・フランク、母 エーディト・フランクの間に次女として生まれる。 アンネの一家は、オランダがドイツ軍によって占領されると、1934年3月、ヒットラーの反ユダヤ人政策による迫害から逃れるため、オランダのアムステルダムの運河に面した古い建物の一角を隠れ家にして住んだ。この時アンネは13歳であった。その後、モンテッソリー小学校に入学したアンネは、たくさんの友達に囲まれ、楽しい日々を過ごす。 1942年、13歳の誕生日に貰った日記帳に、アンネはキティーと名付けて書きはじめる。その後1ヶ月もたたない7月、姉のマルゴーにナチスから呼び出し状が届いたのを機に、一家ともども父の会社の事務所を隠れ家として潜行生活に入る。隠れ家での生活は、約2年に及ぶ。アンネのほか7名との共同生活だった。 だが、1944年8月4日、密告者によりゲシュタポに隠れ家を発見される。全員、オランダ国内のヴェステルボルク通過収容所へいったん送られた後、9月、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所へと移送された。 1944年10月28日、姉のマルゴーと共に、アンネはドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送された。 翌年、3月、チフスに罹って亡くなった姉の後を追うように、アンネもチフスに罹り息をひきとる。享年15歳。
参考文献
「倫理用語集 改訂版」山川出版社
アウシュヴィッツ平和博物館 「アンネ・フランク」 http://www.am-j.or.jp/exhibition/002_auschuwitz.htm
投稿者 YH