イギリスの社会福祉

出典: Jinkawiki

古代中世の慈善活動

古代の奴隷社会における生活困窮者に対する救済施策がどのようなものであったかは、あまり明らかになっていない。中世に入ると自給自足的な村落共同体としての相互扶助活動も活発化した。しかし、そこからはじき出された者は、処罰を覚悟して乞食や浮浪者となるしか方法はなく、当時教会が各地に設置していたアームズハウスという収容施設で救助を受けられる者は幸運であった。中世末期の14世紀半ばにはペストが流行、15世紀からの農民を土地から追い出す「囲い込み運動」などの進展による農民の失業、浮浪化が進み、大きな社会不安を引き起こした。封建社会の解体期には、キリスト教慈善活動も宗教改革の影響をうけ、むしろ衰退していった。


救貧法の成立

16世紀に入り、増大した乞食や浮浪者は生活に困窮し各地で暴動がおこるまでになった。そのため、貧民を取り締まるためにヘンリー8世は「乞食取締令」を出して、労働可能な乞食とそうではない乞食を分け、労働ができる者に関しては鞭打ちなどの刑罰を与えた。これは貧民を犯罪者視し、厳しく取り締まっていく救貧法の先駆けとなった。この後1601年にエリザベス1世がエリザベス救貧法を制定し世界で初めての国家的な救貧制度が形成された。この救貧法は、労働のできる者とそうではない者と身寄りのない子どもに分け、それぞれで労働のできる者には労働させ、できない者には生活扶助を行い、身寄りのない子どもは徒弟奉公に出すというものであった。


福祉国家の成立

20世紀に入り選挙権を獲得したイギリスの労働者階級の人々は、政党による合法的活動で自分に有利な社会施策を実現させた。健康保険や失業保険を含む国民保険法を制定させ、救貧法による劣等的待遇から抜け出せることになり、それは、夜警国家から福祉国家への転換を指すことであった。1942年には、ゆりかごから墓場までという標語のもと、ベバリッジ報告が提出された。第二次世界大戦後は、西側諸国は社会主義への選択に変えて質の高い福祉国家づくりを国家政策としてきた。今度は対人福祉サービスとコミュニティケアを重視しているシーボーム報告だ提出され、ノーマライゼーションの理念のもと、施設の小規模化と解体がすすんでいる。その中で、今の時代の問題といえるのは、特定の人を地域から排除しないインクルーシブな福祉社会づくりである。

出典 櫻井慶一・堀口久五郎(2018)『新版 初めての社会福祉』学文社 編集者 かぼす


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