イスラーム国家
出典: Jinkawiki
目次 |
イスラーム国家
イスラム法、つまりシャーリアによって定められている国家を指す。
法による支配
イスラームを担う主体としてはウンマには、宗教と法を確立する責務が負わされた。単に相互扶助のための宗教集団というわけではない。なぜならば、「そして、われはムハンマドを教えの道の上に置いた。それ故、それに従え」というのが神の啓示だからである。イスラームによって生じた共同体はシャーリア=法を護持しなければならない。さらに、ムハンマドの死直前の章句は、「今日、われは汝らのために教えを完成し、汝らにわが恩寵を注ぎ尽くし、汝らの宗教としてイスラームを認めた」としている。時に、イスラームの理念はノモクラシーであるといわれるが、「神の御許の教え」としてのイスラームは、シャーリアによって政教一元的に信徒の生活を律するのである。そして、法を実施に移すために、ウンマは執行機関を必要とする。すなわち、権力を掌握してその任を果たす統治者である。アブー・バクルが全権掌握したのは、そのようなものとしての統治権力であった。しかし、ここには「国家」の概念はない。メディナにイスラーム国家が成立したという場合も、私たちが現在使うような「国家」という意識はなかった。非人格的な「国家」概念は近代の産物であり、イスラーム世界でも、抽象的な国家論が登場するのは、近代以降である。現代アラビア語で国家をダウラというが、この語は長らく王朝の意味で用いられている。ダウラの語義は「ダーラ」という動詞から派生している。栄枯盛衰し、入れ替わるもの、それが王朝であろう。後の時代に、14世紀のイブン・ハルドゥーンは、王朝の循環説を唱え、いかに支配王朝が形成され、また衰えるかを論じた。アサビーヤなどの概念を用いて、社会科学的な分析を行った彼は、今日「社会学の父」などとも呼ばれている。トインビーの文明史は彼の王朝循環説の影響を受けているが、ダウラとはまさに生成し、滅び去るものである。
理念と現実
初期イスラームは「原型」として、信徒にとっての理念として強力に作用してきた。コーランに代表される理念がイスラーム世界で強い影響力、規制力を発揮することは、よく知られている。その一方、政治の実態は、たとえ理念を適用しようとする場合でも、現実に存在する政治状況のなかで、可能な選択肢のなかから当事者たちが行った決定の結果である。政治状況というなかには、権力者の恣意も人々の要求も含まれるであろう。カリフ制度にしても、そのような時代的制約のなかでの、彼の政策決定の結果だったはずである。カリフ制はスンナ派では、もっとも正当なイスラーム国家体制とみなされる。現代においても、カリフ制こそあるべきイスラーム国家と主張する人がいる。つまり、アブー・バクルが創始したカリフ制が、必然的に生まれたイスラーム的な体制であるかのような解釈が存在するわけである。しかし、その具体的な実施は、アブー・バクルの選択であったに違いない。いちいちの判断、決定は、現実の政治状況のなかでの意思決定の結果である。アブー・バクルの次の第二代カリフ・ウマルが、行政制度としてディーワーンを創始したのも、おなじである。
参照
国語辞典
イスラーム国家の理念と現実 湯川武編 東京 : 栄光教育文化研究所, 1995.5