イタイイタイ病2
出典: Jinkawiki
富山県神通川流域に発生した「イタイイタイ病」は、1946年(昭和21年)、富山県の萩の病院の萩野昇が発見した。全身に痛みを感じ、体中いたるところで骨折を起こし、ひどいときには咳をしただけで肋骨が折れるような状態の患者が多数入院してきていることに気づいたのである。
患者が「痛い痛い」と苦しむことから、そのまま「イタイイタイ病と」名付けられた。患者は圧倒的に女性が多いのが特徴であった。
当初、患者はリマウチや脊椎カリエス、骨軟化症などと診断されていた。さらに栄養不足と過労が考えられたりもした。しかし萩野は、神通川の水を田んぼの水に使っていたり、飲料水にしていたりする地域に患者が集中していることに気づいた。
専門家の調査の結果、農作物にも人体にもカドミウム、亜鉛、鉛が含まれていることがわかり、「カドミウムを中心とする重金属の慢性的中毒」という見解が、1961年(昭和36年)にまとまった。神通川上流の三井金属鉱業神岡鉱山の廃水に含まれているカドミウムが原因であった。 カドミウムは体内でカルシウムと置き換わり、骨を侵す。特に女性は、妊娠中に胎児に自分のカルシウムを渡すため、骨のカルシウムが溶けやすくなっている。カルシウムが溶けた後に、カドミウムが入り込んでいたのである。
神岡鉱山は、「カドミウム無害説」や「ビタミンD欠乏説」などで反論し、因果関係の特定や患者の救済は進まなかった。
「イタイイタイ病」が公害病として認定されるのは、1968年5月になってのことである。この直前、患者たちは三井金属鉱業を相手どって訴訟を起こし、71年6月、富山地方裁判所は原告勝訴を言い渡した。
これに納得しない三井金属鉱業は控訴。名古屋高等裁判所金沢支部は、患者への損害賠償を富山地裁より倍増させて原告勝訴を言い渡し、三井金属鉱業は、とうとう上告を断念。判決は確定した。
原因企業が責任をなかなか認めず、別の原因を主張し、行政も患者の救済に乗り出さない。患者が裁判に訴えてようやく救済に動き出す。こんな経過をたどった。
参考文献
○池上彰(2008)『そうだったのか!日本現代史』集英社文庫
○後藤武士(2009)『読むだけですっきりわかる政治と経済』宝島社
HN:AN