イタリア
出典: Jinkawiki
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イタリアの近代政治
近代以降のイタリア政治は、常に解決困難な問題を抱えていた。それにもかかわらず、二度の世界大戦とファシズム独裁の混迷から出発した戦後イタリア政治(「第一共和制」(1947~1991))は、西欧でも有数の政治理論の宝庫となった。頻繁な内閣交代をはじめとした不安定さ、真の政権交代が不在である停滞、先進国としての活力が複雑に絡み合うバランスが多くの研究者の関心を呼んだからである。そして冷戦締結を受けた1990年代前半、欧州統合やグローバル化が進展する中で第一共和制が終焉し、あらたに「第二共和制」が発展するという変化を経験した。
主要データ
・面積 30.1万平方キロメートル
・人口 60.8万人
・首都 ローマ
・言語 イタリア語(公用語)が大部分、ほかにドイツ語、フランス語、スロヴェニア語など
・GDP 21,376億ドル
・一人あたりのGDP 35,815ドル
イタリアの共和制
戦後共和制となったイタリアの政治は、中道右派のキリスト教民主党(DC)と、左派のイタリア共産党(PCI)の二大政党を軸に、中道右派連立政権が優位な政治が展開されてきた。
しかし、1994年の総選挙でこの体制が大きく変わる。冷戦構造の崩壊や、経済のグローバル化など、外的な環境の変化もあり、与野党にまで浸透した癒着・汚職の表面化が既存政党への国民の不信を決定的にした。
こうして「第一共和制」は終わり、「第二共和制」が始まった。94年総選挙によってDCとPCIは分裂などをして姿を消し、新政党が続々誕生、小党乱立時代に入る。
しかし1996年の総選挙からは、こうした政党たちが独立したまま結集し始める。94年総選挙から実施された小選挙区制が政党の連合を促したといえるだろう
イタリアの政治課題
第一共和制から第二共和制への移行が始まってから20年近くになろうとしている。第二共和制は未だ固有の憲法を備えるに至っていないが移行期の目標とされた既存政党による政党支配の解体、二大勢力による政権交代という目標は現実となり、新しい共和制は独自の力学を備えるに至った。
ただし、第二共和制の確立は決して好ましい現象ばかりもたらしたわけではない。他の欧米諸国に比較して高齢であるイタリアの政治指導者はベルルスコーニやプローディなど、第二共和制確立期に政界に進出したアンドレオッティやファンファーニなどの歴史的指導者が、その後半世紀近くも権力の中枢に位置した経験を思い起こさせる。経済停滞の深刻化、組織犯罪の活性化、周辺国からの批判を集める政治指導者の存在など問題が山積みする中で、イタリアは他の欧米諸国と同列の民主主義国といえるかは疑問が残るところだ。
参考文献
馬場康夫 1999『イタリアの政治-「普通でない民主主義国」の終わり?』早稲田大学出版部
イタリア基本データ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/italy/data.html
中村研一 2014『現代政治・経済』清水書院
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