イラク戦争11

出典: Jinkawiki

イラクの大量破壊兵器に関する国際決議違反主な理由として、2003年3月20日、アメリカ、イギリスなどがイラクに軍事攻撃をかけた戦争。4月9日バグダードを制圧、イラクのフセイン政権は事実上崩壊し、5月1日アメリカのブッシュ大統領は大規模戦闘終結を宣言した。回線に先立つ国連査察団の査察によっても大量破壊兵器の存在は確認できず、国連安全保障理事会での開戦に反対するフランス、ドイツ、ロシアとの対立を残したままで米英は戦争に突入したが、イラク全土を制圧した後も大量破壊兵器の存在は発見できなかった。なお、03年7月フセインの息子2人が戦死し、フセインも12月には拘束され、05年10月から彼を含む旧政権幹部を裁く裁判がバグダードで開始された。占領統治にあたる連合国暫定当局の下で03年7月イラク人による統治評議会が、先頭終結後も各地で反米、反占領軍のゲリラ活動が頻発し、アメリカ兵やイラク民間人の犠牲も増大した。04年3月基本法制定、6月暫定政府への主権移譲を経て、05年1月暫定国民議会選挙が行われた。選挙ではフセイン政党下で抑圧されていたシーア派が第一党になり、クルド人の政党が第二党となった。10月には新生イラクを多民族・多宗教の連邦制・議会制の国家とする新憲法案が国民投票で承認され、12月にはこの憲法に基づく国民議会選挙が行われた。第一党と第二党の構図は変わらず、06年4月国民議会はジャラル・タラバニ(クルド人)を本格政府の大統領に、指名し大統領はジャワド・マリキ(シーア派)を首相に指名した。本格政府の発足後も破壊活動は続き、国内の安定には程遠い状態である。

      参考文献:世界代百科事典(平凡社、2009年改訂版)

              イラク戦争と占領(酒井啓子著、岩波書店、2004年出版)

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