イラク戦争12

出典: Jinkawiki

イラク

首都はバグダッド。ティグリス、ユーフラテス川の流域を占めるアラビア半島基部の国。アラブ人が大多数、他にクルド人など。公用語はアラビア語、クルド語、トルコ語であり宗教はイスラーム教。旧オスマン帝国であり、1920年イギリスに委任統治領とされ、その翌年イラク王国が成立し1932年に独立が認められた。


イラク戦争

2003年3月~2003年4月に起こる。2001年の9月11日の「同時多発テロ」が発端となりアメリカはテロへの軍事行動(=イラク)に対しての軍事攻撃への姿勢をみせる。その後3月にアメリカは、イラクが大量に破壊核兵器を保有しているという理由から攻撃を始める。(後に誤りであったことが判明。)4月にはイギリス軍も加わり都市であるバグダードに突入・制圧したため、5月にフセイン政権が崩壊し主な戦闘は幕を閉じた。しかしその後もアメリカとイギリスによる占領や統治に対するイラクのテロ活動が活発化し、アメリカ軍、同盟軍に限らず国際機関関係者(国連や赤十字軍など)にも犠牲者が広がる。加 えてアメリカ軍の反撃により、兵士のみならずイラク民間人(主に女性や子供)も犠牲となり多くの死者がでた。2003年にフセインは拘束され、2004年にはイラク暫定政権に統治権が加わったが、シーア派とスンナ派の宗教対立やクルド問題(北部に住むクルド人はフセインから圧力を受けていたため)が新たに発生し日々惨事が絶えず、治安回復は非常に困難な状況にある。


アメリカとイラクの両国間の背景

アメリカはもともとフセインによる軍事力の本格的増強の動き(クエートの石油利権の奪取)が起こるまでは、イラクに対し支持する活動をしていた。その背景にはイラクとアメリカ、イランの三国間の利害関係が基づいている。イランにおいては79年のイラン革命の結果、親米的なパーレビ国王政権が崩壊し、テヘランに駐在する米国外交官を人質にとるといった国際法違反に値する過激な反アメリカ的活動をしていた。このようなイランと戦争(=イラン・イラク戦争)を行っていたイラクはアメリカにとって「敵の敵は味方」という原理よりイランへの対抗に都合のいい中東の国であった。よってアメリカはイランとの戦いに向け、テロリストの支援や核兵器開発への十分な承知など積極的にイラクへの軍事的支援を強化し始める。 このようなアメリカのイラクへの支援がフセイン政権に生物化学兵器や核兵器といった大量破壊兵器を生産する資金援助となってしまった。アメリカはその責任を負うことなくむしろ後のアフガニスタンの政権の打倒、その後にイラクへの攻撃を行った。

『イラク戦争と占領』2004.1,20 酒井 啓子 岩波新書 『世界史B用語集 改訂版』2008.3 全国歴史教育研究協議会 山川出版

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