イラク戦争20

出典: Jinkawiki

 イランイラク戦争とは1980年から1988年にかけて、イランとイラクとの間で行われた戦争である。 1980年9月22日から始まり、1988年8月20日に国際連合安全保障理事会の協議の結果を受け停戦を迎えた。「イ・イ戦争」、「湾岸戦争」と呼ばれた時もある。

 ペルシア湾岸の石油資源をめぐる対立をうけ、イラクのサダム=フセイン大統領が前年に始まったイラン革命の核となったシーア派のイスラーム原理主義が、シーア派が国民の半数を占めるイラクに及ぶことを恐れたものと考えられる。バース党のサダム=フセイン政権は、北部のクルド人と南部のシーア派を抑圧して政権を確保していた形である

 戦闘は始めイラクが優勢であったが、隣国シリアがイランを支援して石油パイプラインを閉鎖した時から、イラクは劣勢になり、イラン軍が国境を越えてバスラへと攻撃を進めていった。アメリカはイラン革命の輸出を恐れたため、イラクに軍事援助をしていった。またサダム=フセイン大統領は上手な外交によってソ連からも武器の援助を受けた。さらにイラクはペルシア湾のイラン原油積出港のカーグ島を爆撃、石油危機を警戒した国連が停戦調停を出し、88年に停戦となった。直後にイランのホメイニ大統領が亡くなり、イラン革命の影響が消えた。イラクのサダム=フセイン大統領は戦争で疲労したのもかかわらず、膨大なアメリカの軍事援助を受けて独裁権力を行うようになった。  イラン=イラク戦争でサダム=フセインは、国内のシーア派がイランに通じているとして弾圧、また独立の姿勢を示しているクルド人勢力に対しても化学兵器を使用するなどして弾圧した。これらはイラク戦争後、サダム=フセイン政権が壊滅した後に明るみに出て、サダム=フセインを殺す要因となった。

参考文献 http://www.y-history.net/appendix/wh1703-044.html


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