イラク戦争22
出典: Jinkawiki
イラク戦争 1イラク戦争とは
2003年3月、アメリカ合衆国のG.W.ブッシュ政権が、イラクが大量破壊兵器を保持しているとして空爆および地上軍によって攻撃を開始し、サダム=フセイン政権を倒壊させた戦争。アメリカ合衆国は国連安保理決議に基づかず、「テロとの戦争」の一環として、イギリスなどの有志同盟による軍事行動として実行した。5月には戦闘が終了、その後フセイン大統領を拘束し、アメリカ合衆国の介入のもと新たなイラン政府も成立したが、イラン情勢は安定せずにテロ活動がやまず、アメリカ軍・イギリス軍などが依然として駐留を続け、問題は長期化している。 2イラク戦争の背景
国際的な非難にもかかわらず、アメリカ合衆国のブッシュ政権がイラク攻撃に踏み切った理由については、公式には「大量破壊兵器の隠匿」が「国連決議」に違反するということとされているが、その後、大量破壊兵器の存在は証明されておらず、アメリカ政府もすでに破棄されていたことを正式に認めた。また国連決議についても、フランス・ドイツなどは査察の継続を主張して反対したため、その軍事行動は国連の平和維持活動(PKO)でも、国連決議による多国籍軍でもない、アメリカ軍とイギリス軍などの30カ国ほどの有志連合という形をとらざるをえなかった。その背景には、政権内のネオコンといわれる勢力(国防長官のラムズフェルドや、ブッシュ政権を支えていたウォルフォヴィッツ、ボルトンといった人たち)が台頭し、冷戦終結後のアメリカ合衆国の単独行動主義(ユニラテラリズム)が強まった現れと見られる。また、アメリカ合衆国が中東おいての石油資源の独占を狙ったものであり、フランス、ロシアが反対したのはフセイン政権と石油利権を通じて結びついていたからだという説もある。
3戦争の経緯 2003年3月20日、アメリカ軍はバグダートを攻撃、空爆を行う。サダム=フセインの殺害をねらったが失敗に終わる。アメリカ合衆国の狙いはサダム=フセインさえ殺害すれば、イラク国民が起ち上がるであろうという考えであった。しかし、フセインはその後TVに顔を現して健在ぶりをアピール、同夜アメリカ軍とイギリス軍はクウェートから陸上部隊を侵攻させ、空爆も本格化させた。イラク軍は想定以上の抵抗があったが、アメリカ軍は劣化ウラン弾やクラスター爆弾を投入してその抵抗力を抑え、4月4日にはバクダードに突入、9日には市民とアメリカ軍の手によってサダム=フセイン像が引き倒されて、フセイン政権は倒壊した。5月1日にはイラク軍の組織的な抵抗は終わり、ブッシュ大統領は勝利宣言を行った。しかしフセイン自身はその後も潜伏を続け、同年の12月にとうとう捉えられた。2005年10月からイラク高等法院で裁判が行われ、2006年12月に死刑判決が下された。その後直ちに死刑が執行された。 参考文献 イラク 戦争と占領 (岩波新書) 酒井 啓子 2004年 イラン・イラク戦争 (パレスチナ選書) 鳥井 順 1990年